「あれは本物ですよ、土方さん」

 声がした方を見れば、締め切られた障子の向こうに人影があった。猫が鳴くような声からして、沖田であることは瞭然だった。
 しかし、今日に限って何故か沖田は入ってこない。土方に断りもなく私室に侵入するのは、この男の悪い癖だ。
 そういう日もあるものかと構わず土方が書簡の筆を進めようとする。
 しかし、筆はつと止まる。
 やはり、障子の向こうからでも感じる、沖田の雰囲気がいつにもまして歪だった。

「総司、お前何かあったのか」

 沖田ははっとしたように息を呑む。しかし、すぐに笑ってなんでもないですよとだけ答えた。
 土方は顔を上げ、沖田のいる方をじっと凝視した。

「そうか」

 土方は少し息を吐く。
 どうせこの頑固な餓鬼は何を言っても教えてくれないに違いない、と。

「本物――」
「え?」
「あれが本物だと言ったな。どういう意味か説明しろ」

 改めて、土方は筆を書簡に走らせた。
 聞き間違えではない限り、沖田は「あれは本物だ」と言った。あれとは、沖田は尋問の担当になった、未来から来たという女のことだ。つまり沖田の台詞の意は、彼女の言葉は狂言でも妄言でもなかったことになる。
 沖田の口からは聞きたくなかったが、なるようになれと土方は口を引き結んだ。

「……どうしたもこうしたもないですよ。あの子が未来から来たのは本当のことだったってだけで。間者じゃなかったから殺さなかったけど、逆に殺した方がよかったかなぁ」

 からかわれているのか、真面目な報告なのか。
 日頃から判断のつきにくいことばかりを言う沖田だが、淡々とした声色からも、今日ばかりはそれを楽しんでいるようには思えない。
 けれども、そのことで原田に食ってかかられた日から遠くない今、口をついて出るのは嘲りにも似た言葉だった。

「原田もお前も、悪いもんでも食ったのか。人をおちょくるのも大概にしろ」

 苛々したようにそう言うと、沖田は深い溜め息を吐いた。

「土方さん、朔夜は僕の死に様を知ってましたよ」
「あ?総司、お前本当に、」
「将来、僕がどんな無様な死を遂げるか、あの子は知ってるんだ」

 今度こそ、完璧に筆が止まった。
 土方に言うだけ言って、清々したのかさっさと去ろうとする沖田を止めようと立ち上がった。
 その拍子に膝が当たり、がたんと机が揺れる。
 硯に置いていた筆は畳の上に落ち、真っ黒な染みを作っていた。じんわりと広がる墨は、死体から広がる血を彷彿とさせた。
 例え斬られて終わりだとしても、最後の最期まで敵を討たんと戦うことが、近藤のために戦って死ぬことが、無様だとでも言うのか。

――何言ってやがる。お前らしくもねえ。

 そう、叱咤してやるつもりだった。
 その時、池田屋で血を吐いて倒れたという沖田の姿が目に浮かんだ。
 はっとして障子を開ける。

「何をしてるんです、土方君?」

 そこには、小包を提げた山南が立っていた。







「彼女の荷物を拝見したのですが、凄いですねこれは。見たこともない技術の塊だ」

 腕に怪我をして以来、引きこもってばかりいた山南が、嬉々として持ってきていた小包を置いた。
 山崎の調書に書かれていた謎の持ち物。それを土方が見に行こうとした時には、既に山南に押収された後だった。山南が見るなら安心だろうと、そのまま荷物のことは土方の中で忙殺されていた。

「是非土方君にも見せようと思ってね」

 風呂敷の結び目を解き、開けていく。
 落ち着いた色の風呂敷の上には、女の荷物と思しき物品の数々があった。そのどれもこれもが土方の記憶に存在しないものばかり。四角い金属の塊に、細い包み、異国のものと思わしき洋服。
 その中で、一つだけ分かるものがあった。

「これは……財布か?」
「ご名答。しかし――」

 山南が土方から財布を受け取ると、ぱかりと開く。そして口を下にした時、じゃらじゃらと落ちてくる銅やら銀やらの色をした小銭。
 おもむろに一番大きな銀貨を手に取った。いずれも綺麗な円を描いており、金属の整形技術の高さが見て取れる。極めつけは、その小銭のどれもが既存の銭貨に該当しないことだった。鈍く汚れた銅貨、一際輝く銀貨等、一つ一つ手に取り、確認する。しかし、どれも見たことのないものばかりだ。

「これは一体どういうことなんだ?」
「やはり、彼女の言う通り未来から来たということでしょうね」

 さらっと言いのけながら、山南は四角く白い金属らしき物を、私はこれが一番気に入っていてねと微笑みながら土方に翳した。何やらごそごそと山南の指がその物体の側面を押さえると、表面に刻まれた無数の幾何学的な三角の模様一つ一つから様々な色をした光を放ち始める。目を真ん丸くした土方に満足したのか、山南はすっとそれを下に置いた。

「異国の最新技術……って訳じゃないんだろうな」
「そうでしょうね」
「…………」
「…………」

 暫し二人の間を沈黙が包む。
 それを破ったのは土方だった。

「……そんなことありうるのか」
「さあ、普通に考えるならありえないでしょう。けれど、実際に起こっている。だからこそ、私は彼女を新選組に置いておくのはどうかと思うんです」
「何だと?」

 それを聞いて、すっと土方の声が低くなる。
 山南は変わらぬ様子で続けた。

「ここには未来の技術の末端があるのですよ。服一つ取ってもそうだ。この服の繊維は植物から作られたものではなく、未知の化学物質で成っていて、それを一般人が平然と着ている。科学技術の高度さが窺えるじゃありませんか。私個人としても、その構造や合成法を知りたい。彼女に今日会ってきたのですが、長い間話し込んでいると彼女が疲れてしまってね。もう少し話す時間を得たいし、牢では何かと勝手が悪いんですよ。それに彼女は新選組のことを知っているそうじゃないですか。なら、この時間では一種の予言者となりうるでしょう。きっと新選組に新たな力を与えてくれるに違いありません」
「…………」

 この男のこういうところが苦手であり、尊敬できると土方は思った。
 証拠が数多あるのなら、例え部外者でも使おうとする。新選組を心から大事にしているからこそ、頑なに「新選組」にこだわるのをよしとせず、幅広いことに着手した。冷静に分析し、神から授けられた知恵を以て土方にはない発想で物事を押し進めようとする様が疎ましくもあり、羨ましくもあり、また必要でもあった。
 しかしながら、今回ばかりは反対せざるをえない。
 未来から来たというが、女の情報がどれほど正確かは分かったものではない。ふらりとやって来た女の言葉を信じるだなんて馬鹿げている。そんなあやふやなものを判断の基準にして、部下達に命を賭けろと命じることなどできる訳がない。
 それに、年端もいかぬ少女を、人殺しの道具として利用するほど落ちぶれてはいない。その自負はあった。
 例え、血を求める化け物を内包していたとしても。

「山南さん、そりゃあ駄目だ。これ以上関係ない人間を屯所内に置いておく訳にはいかねえよ」

 それを聞いた山南は、すっと目を伏せ、やはり君は分かってはくれませんかと静かに呟いた。
 土方は何かを言いたげに口を開くが、苦々しげに表情を歪めてやがて口を閉じた。

「……雪村君は置いているのに?」
「あいつは羅刹を見たから、」
「なら、私も彼女に羅刹を見せましょうか?いや、いっそ羅刹に、」
「それなら――」

 じろりと土方は山南を睨む。そして聞こえるは、地の底より響く心臓を震え上がらせる鬼の声。

「俺があの女を斬るまでだ」
「それは困りますねぇ」

 けろっとした顔でそう言う山南に、土方はもうどうしたらいいか分からなかった。お手上げだとでも言いたげに乱雑に頭を掻く。

「なあ、山南さん。どうしてだ。どうしてあの女を、未来を手に入れようと固執する?」
「純粋に知識欲というのもあります。未来のこの国は一体どうなっているのか。決して見れないものが、見れるかもしれません。彼女の話を聞いていたら年甲斐もなく心躍りますね。それに、」
「?」

 ぐっと左腕を押さえ、山南はただただ曖昧な笑みを浮かべ、表情を曇らせた。

「刀も振るえない今、私は私なりに必死なのかもしれませんね……」

 その表情の意味を理解できる立場であるからこそ、土方は小さく舌打ちをする。自分がついていながら山南を刀が扱えなくなるような怪我を負わせてしまった、その悔恨の情が土方の胸を今もじりじりと締め付けていた。
 それきり黙ったまま立ち上がり、土方は部屋に出ようと障子に手をかけた。
 同時に山南が吐き出された溜め息に、その心情をありありと表されていた。

「俺としては女囲うなんざ面倒なんだが……」

 山南はただ真剣な表情で、土方の背中を見上げる。

「他の幹部連中に訊いてから女の処遇を決める。ただし、もしここに置くことになった場合、組のために女を利用するのだけは許さねえ。それでいいか」
「――ええ。ありがとう土方君」

 ちらりと土方が振り返ると、異名通りの笑みをたたえた山南が見えた。やり切れない想いが胸をひしめくままに、歯噛みしながら土方は障子を閉めた。








山南さんの性格絶対違う。