翌日の朝、担任の口から歌川が近界民に襲われ、怪我を負ったことが伝えられた。それから今は入院中だということ、明日以降ならお見舞いに行っても構わないが大人数では行かないこと、彼の負担にならないよう気を配ることを、担任はしつこく私達に言い聞かせた。
ざわめく教室はいつも以上にうるさかったけれど、それも気に触らないくらいに私の頭の中は、歌川のことでいっぱいだった。命に別状はないとは聞いたけど、あんなにざっくり斬られてたし……本当に大丈夫なんだろうか。

担任は私の名前を一切出すことなく、SHRを終了させた。




「菊地原さん。」

「……はい。」



昼休み。コンビニ袋を手に立ち上がり、いつものように校舎裏へと移動しようとした私を、担任が呼び止めた。若くて綺麗で、おまけに優しいと生徒からも人気の女担任は、クラスで浮いている私のことをよく心配して声をかけてくれるような人だった。でも、今回のは多分それとは違う。

担任は誰かに話を聞かれることのないよう、人気のない廊下へ私を連れ出すと、「昨日は大変だったわね」と私に気遣うような言葉を述べた。当然だけど、担任は歌川だけでなく私も近界民に襲われたことを知っていた。
私は「まあ…」と随分素っ気ない返事を返すが、それでも担任は嫌な顔一つせず、笑顔を浮かべたまま口を開いた。



「先生、今日の放課後に歌川くんのお見舞いへ行こうと思ってるんだけど、もし良かったら菊地原さんも一緒に行かない?」

「え。でも、お見舞いは明日以降って…」

「そうだけど、あなたは特別よ。歌川くんが入院してからまだ一度も会ってないんでしょ?菊地原さんのこと、歌川くんも心配してると思うし、顔を見せに行ってあげた方が良いと思うの。」

「………。」

「菊地原さん?」

「……行きません。今日は用事があるんで、」

「……そっか。うん、なら仕方ないわね。」



私が誘いを断ると、担任は困ったように笑い、その場から去って行った。多分、彼女は私の嘘なんて見抜いていただろう。

一人残された私は、拳をぎゅっと握りしめると、校舎裏へと再び歩きだした。





菊地原に転生した女の子05





「歌川くん大丈夫かな…。」

「心配だし、明日の放課後お見舞いに行こうよ!」

「そうだね!」



「やっぱりお見舞い品とか用意した方が良いよな。」

「あいつ、何が好きなんだっけ…。」

「焼き鳥じゃなかった?」

「さすがにそれは病院に持ってけねぇだろ!」




「………。」



歌川は私と正反対で、クラスの人気者だ。勉強も運動もできて、誰に対しても優しいし、人一倍に正義感がある。生徒だけじゃなくて、教師からも頼りにされている。そんな歌川が入院したなら、当然お見舞いに行こうとする人は多いはずだ。
私はSHRを終えてから放課後まで、教室のあちこちで聞こえてくる"歌川"や"お見舞い"というワードに辟易していた。

やっぱり、私が行く必要なんてないよね。私の短所と言える、自虐めいた思考が頭の中を駆け巡る。だって、どうせ、私なんかが行ったって……。
そんなことばかり考えていたら、気づけば放課後で。教室は夕焼け色に染まっていた。次々に教室から去っていくクラスメイト達を尻目に、私は深い溜息をつく。一体何やってるんだか。さっさと帰ろう。

私は中身がスカスカな鞄を片手に立ち上がると、誰もいない静かな教室を後にした。



雨こそ降っていないけど、じめっとした空気に覆われた曇り空の下をトボトボ歩く。昨日とは違って隣に誰もいない、誰も話しかけてこない帰り道は、私を酷く寂しい気持ちにさせた。ありきたりな表現を使うなら、心にぽっかり穴が空いたような気分ってやつ。何だか、物足りない。

今まではこれが普通だったのに。あいつに出会ってから、おかしくなってしまった。不服だけど……多分、私は彼に絆されてしまったんだと思う。



「ーーあいつが、あんなことを言うから。」



ぽつり、と呟いた言葉は、もちろん誰の耳にも届かない。私は暫く歩き続け、ある突き当りで足を止めた。左の道は自宅の方向、右の道は病院の方向。

私は左の道へと一歩踏み出した。



「暫く入院することになったみたいだし、また明日にでも来てあげなよ。きっと、喜ぶ。」



「…………。」



「菊地原さんのこと、歌川くんも心配してると思うし、顔を見せに行った方が良いと思うの。」



「……そんなこと、」



「ただのクラスメイトなんかじゃない。俺達は友達だろ?」



「ああもう!行くよ!行けば、良いんでしょ?!」



思い出された記憶はどれも、私を病院へ行くように促してくる。あああ、うるさいなぁ!やけになった私はそう叫んで、病院のある方向へと駆け出した。誰にも聞かれなかったからいいものの、もし聞かれていたら間違いなく不審人物だ。

お見舞い品とかそういうのを考えてる余裕もなくて、とにかく面会時間内に病室へ行かなくては、と只それだけを考えながら、私はひたすら走り続けた。
病院に着いた頃には息切れが酷くて、足もガタガタ震えていたけど、なんとか落ち着かせて、私は歌川の病室を聞くために受付へと向かった。




「………よし。」



歌川が入院しているという病室の前。走ったことで乱れた髪を整えて、深く息を吐く。うん、いける。今の私なら、もうなんでもできそうな気さえした。

私はドアノブに手を添え、少しだけ横にスライドさせる。そして、僅かに開いた隙間から中の様子を覗き見た。
期待半分、不安半分。歌川、今いるかな?と恐る恐る病室内を見渡してみるけれど、探している人物はどこにもいない。個室なので他の患者もいなくて、そこは酷く静かな空間であった。そうわかると、張り詰めていた空気が緩む。

私は、ポツリと呟いた。



「……なんだ、いないじゃん。」

「菊地原。」

「うっわあ?!!うたが、むぐっ」

「おい!病院で大声を出すなよ…。」



いつの間にか背後に立っていた歌川は、驚いて大声を出す私の口を慌てて自らの手で覆った。そして、私が落ち着くのを待ってから、その手をゆっくり外す。

見ると、そこには呆れた表情を浮かべた歌川と、くすくすと控えめに笑う歌川の母親が立っていた。近付いてくる足音に気が付かなかったなんて、私らしくない。
私は声を上げた自分がとても恥ずかしくなり、拗ねるように唇を尖らせた。



「ちょっと、今のは急に後ろから声をかけてきた歌川が悪いんだからね…!」

「ああ、そうだな。驚かせて悪かった。」

「ふふ。ほらほら、2人ともお話は中に入ってしなさい。遼、私はちょっと先生のところに行ってくるから、なにかあったら呼ぶのよ?」

「わかったよ。」



歌川はそう言って、病室の中へと入っていった。私もそれに続こうとしたが、歌川の母親に名前を呼ばれて振り返る。歌川の母親は「お見舞いに来てくれてありがとね、なまえちゃん」と優しい笑顔で礼を言ってきた。お礼なんて言われ慣れてないから、なんだかむず痒い。
私は彼女から目を逸らし、「いえ」と素っ気なく答えてから、今度こそ病室の中へと足を踏み入れた。



「来てくれると思ってなかったから、部屋の前にいたときは驚いたよ。」



私にパイプ椅子に座るよう指示した歌川は、苦笑を浮かべながらそう言った。私だって自分が行くとは思ってなかったよ、と言いそうになって口を噤む。

患者衣に身を包んだ彼の腹には、白い包帯が何重にも巻かれていて、見ていてとても痛々しい。私の視線に気づいた歌川は、なんてことないように笑って言った。



「反射的に身を引いたから、見た目より深くはないんだ。もちろん痛みはあるけど、普通に歩けるし。すぐに退院できるだろうって医者にも言われた。」

「……ふーん、そう。良かったね。」

「ああ。心配してくれてありがとな。」

「はあ?別に心配なんか…、」



バっと顔を上げて否定しようとするけど、その言葉は最後まで言い終えることなく消えてしまった。歌川が真剣な表情で、私を見ている。さっきまでとはまるで雰囲気が違った。
歌川の声は決して大きいものではなかったけれど、私達しかいない静かな室内では、とてもはっきりとそれが聞こえた。



「ごめん。」



歌川は苦渋の表情を浮かべながら、私に頭を下げた。



「俺のせいで、菊地原を危険な目に合わせた。」

「………は?別に歌川のせいじゃ、」

「いや、俺のせいだ。」

「………。」

「あのとき、ボーダー隊員が助けに来てくれてなかったら、きっと俺も菊地原も……っ、」



歌川はそこで言葉を切った。居心地の悪い空間。ここから出て行きたいという衝動を抑えて、私は歌川を見つめていた。だって、歌川が弱音を吐くなんて、レアじゃない?こういうタイプは、つらいこととかあっても大体1人で何とかしちゃうだろうし。

今にも泣きそうな表情のこいつを、勇気づけてやれるのは自分しかいないという謎の使命感が、どうしてか私の中にあって。私は席を立って、歌川の方へ少し歩み寄ると、歌川の震えている拳にそっと自分の手を重ねた。



「でも、今私は生きてるよ。」

「…え、」



歌川のタレ目が大きく見開かれた。



「もし、あのとき歌川が私の手を引いてくれなかったら、体力も根性もない私はすぐに逃げるのを諦めて、アイツに殺されていたと思う。」

「………菊地原、」


「だから!一度しか言ってやんないけど、」



私は、歌川の目を真っ直ぐ見つめながら言った。ちゃんと私の気持ちが届くように。言われ慣れてもいないけど、言い慣れてもいない感謝の言葉を。



「守ってくれて、ありがとう。」



風が吹いて、病室のカーテンがゆらりと舞った。

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