『なまえちゃん、』



誰もいない廊下。防衛任務で休んだ分の補習を受けていたため、帰りが遅くなってしまった私は、荷物を取りに行こうと自分の教室へ向かっていた。
その途中、名前を呼ばれて振り返れば、三輪のお姉さんがニコニコしながらそこに立っていた。彼女の近くに三輪の姿はない。



「私に何かご用ですか?」
 
『なまえちゃん、今急いでる?』

「いえ、特には。」

『良かった。ちょっとお願いがあるの。』



三輪のお姉さんがちょいちょいと手招きするので、私はそちらへ足を向ける。そして、私が傍までやって来ると、お姉さんは笑顔のままある教室を指差した。なんだろう。

頭に疑問符を浮かべながら、教室内を覗きこむ。するとそこには茜色に染まった窓際の席で、スヤスヤと眠る三輪秀次の姿があった。


私は目を丸くする。彼が居眠りしてるところなんて初めて見たのだ。普段はあんなキリッとした印象の彼だが、寝ている姿はあどけない。
隣でお姉さんが『秀次、最近よく眠れてないみたいなの』と苦笑を浮かべながら言った。確かに彼の目元には大きな隈が目立つ。



『でも、そろそろ起こしてあげないと。今日は夜から防衛任務あるのよ。ーーなまえちゃん、悪いけど起こしてもらえる?』

「私が起こしたら、彼の機嫌が最悪になると思いますけど。……まあ、仕方ないですね。」



私は溜息1つ着くと、三輪の元へ歩み寄る。結構ぐっすり寝ているらしい。近くまで来ても起きる気配のない彼の背中を、私は軽く叩いた。



「三輪、起きて。」

「……ん、ぅ………。」

「三輪。」

「……っ、!?!?」



突然バッと飛び起きた三輪は、私の姿を見て固まる。何が起こっているのかわからない、という表情だ。
そりゃあ、そうだろう。私と三輪はそんな話をしたこともなければ、立場からしたら敵対関係にある。そんな相手にまさか起こされるなんて思いもしなかっただろう。
三輪の反応にクスクスと笑うお姉さんを視界の隅に捉えながら、私は教室の時計を指差して言った。



「もうすぐ、18時。三輪隊は今日、夜から防衛任務があるんじゃないの?」

「ーーっ!」



ヤバイと思ったのか、慌てて帰りの支度を始める三輪をぼーっと見ていると、お姉さんが『慌ただしいわね』と私の隣までやってきて言った。
確かに普段の三輪ならもっと余裕を持ってボーダー任務をこなしていたはずだ。ましてや任務があるとわかっていながら居眠りしてしまうだなんて、彼らしくもない。余程疲れているのだろう。

ふと、私はポケットの中に飴が入っていたことを思い出す。疲れた時には甘い物。その定義が私の中には成り立っていて、私は少し考えてからその飴を取り出した。



「あげる。」



飴を何個か机に置くと三輪は目を丸くし、それから眉間に皺を寄せる。「なんだこれは、」と訝しげに尋ねてくる彼に、私は「飴。ブドウ味よ」と簡潔に答えた。わかってる。彼が聞きたいのはそういうことじゃない。
さらに皺を深くした彼に、私は意地悪そうな笑みを浮かべた。



「疲れたときには甘い物でしょ?あんたがどんな悩み抱えて、どんな生活送ろうと私には関係ないけど、あんたの大切な人にまで心配かけちゃダメよ。」

「……大切な人?」



意味がわからないと言った顔の三輪に何も答えず、私はお姉さんに視線を向ける。お姉さんは『ありがとう』と優しく微笑んでいた。……別にお礼を言われるようなことはしてないんだけど。


用も済んだし、もう帰ろう。その前に教室に行って、荷物を取りに行かないと。私は「それじゃ、防衛任務気をつけて」とだけ言って彼に背を向けた。

三輪は未だに理解が追いつけてない様子だったけれど、私が教室を出るとき「……ありがとう」と小さな声でお礼を言ってくれた。
それは消えそうなくらい小さな声だったけれど、確かに私の耳に届いてーー。
三輪は意外と律儀だなぁと思いながら、私はポケットにまだ何個か入っていた飴を一つ取り出して、口の中へと放り込む。

甘い甘いブドウの味が口いっぱいに広がった。




三輪と霊感少女と02




「ただいま。」

「おー。みょうじ、おかえり。」



帰宅するとソファで迅さんが寛いでいて、その手には当然のようにぼんち揚げの袋が握られていた。私はそれを見て、あからさまに溜息をつく。



「また夕飯前にそんなの食べて、レイジさんに怒られますよ。」

「バレなきゃ平気だよ。」

「………ところで、みんなは?」

「んー。宇佐美と陽太郎は本部に行ってて、レイジさんは夕飯の買い出し。京介はバイト。小南は今日、友達の家にお泊りするらしい。ボスなら自室にいるけど?」

「そうですか。」



迅さんと二人っきりのこの部屋で、特に何もすることのない私は迅さんとの間を人一人分空けてソファに腰掛けた。そして、小さく欠伸を漏らす。ああ、夕飯まで暇だ。
迅さんはそんな私を見ながらぼんち揚げをボリボリ食べていたが、脈絡もなく突然「で、秀次とはどう?」と尋ねてきた。"で"って、なんだ。いや、そんなことよりも……、



「食べながら喋るのやめてください。行儀悪い。」

「ははは、みょうじは厳しいな。」



彼の食事マナーが気になって、迅さんを横目で睨みつけながら注意すると彼は反省の色もなく笑った。きっとこの人には何を言っても駄目なんだろうな。

早々諦めた私は先ほど尋ねられたことを考える。……えっと、確か三輪とのことだったか。そんなことを聞いてどうするんだと思いながら、私は素直に口を開いた。



「三輪とは特に何もないです。って言っても、どうせ今日あった出来事なんて、迅さんには視えてたんでしょうけど。」

「いやいや。俺のサイドエフェクトとみょうじは相性が悪いからね。俺だって“全て”視えていたわけじゃない。」



「みょうじが何で顔見知り程度の秀次をわざわざ起こしてあげたのかも、今夜の防衛任務につくのが三輪隊だということを知っていたのかも、俺にはわからないよ」と言って、迅さんは態とらしく首を横に振った。

迅さんは未来は視えるけど、霊的なものは見えない。だから、今日の放課後に私と三輪が教室で会う未来は視えていたとしても、そこに三輪のお姉さんがいたことを迅さんは知らないのだ。

私は迅さんにお姉さんのことを話そうか悩んで、やめた。言っても仕方ないし、なによりわざわざ説明するのが面倒だ。
けれど、迅さんは相変わらず掴めない人で、中身が空になってしまったぼんち揚げの袋を畳みながら彼は言った。



「ーー秀次の姉さんに会ったのか?」
  
「っ、……なんだ、やっぱりわかってるんじゃないですか。」



「一体どんな未来が視えたんですか?」と私が尋ねると、迅さんは意味深な笑みを浮かべて「秘密だよ」と答えた。
元から期待はしていなかったけど、趣味が暗躍な彼は底意地が悪い。私が眉間に皺を寄せると、迅さんはハハッと笑いをこぼした。



「まあ、これは俺からのアドバイスなんだけど、三輪の姉さんからの頼みはなるべく引き受けた方が良い。俺のサイドエフェクトがそう言ってる。」



迅さんはそう言って、四角く畳んだぼんち揚げの袋をゴミ袋へ投げ入れた。

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