学校の帰り道。突然走り出したあいつを追いかけて、警戒区域近くにある公園までやってきた俺は、「なんなんだ…」と疲れた顔で呟く。
時刻はまだ17時前だった。けれど、その日は雨が降っていたから、公園で遊んでいる子供は一人もいなかった。

あいつは無言でタコの形をした大きな遊具に近づくと、傘を俺に渡してその中へと潜り込んでいった。おいおい、お前は一体なにがしたいんだ。頼む、簡潔にでいいから説明してくれ。
戸惑いつつも大人しく外で待っていると、あいつは割とすぐに遊具内から抜け出してきた。なぜか、その手に中くらいの段ボール箱を抱えて。



「おい、菊地原。お前一体なにをして……なんだそれ?」

「歌川。」



あいつは俺の質問に答えないで、閉じられていたダンボール箱をそっと開けると、その中を俺に見せながら言った。



「歌川の家、犬飼える?」



段ボール箱の中には、毛布に包まった状態の小さな子犬が入れられていた。その子犬のつぶらな瞳と視線が交わり、ついに俺の思考は停止する。
固まった俺を他所に、あいつは俺に預けていた傘を礼もなしに奪い取ると、それを自分の肩にかけ、子犬が濡れないように箱を持ち直した。子犬がくうん、と小さく鳴く。そうして、漸く我にかえった俺は恐る恐るあいつに尋ねた。



「捨て犬、か…?」

「そうにしか見えないでしょ。私の家、ペット禁止のマンションだから、飼えないんだよね。だから歌川が飼ってよ。」

「え、俺が?」

「うん。ここから警戒区域って割と近いし、こんなところに独りにしておけないじゃん。……それともなに?歌川はこんな小さな子犬を見捨てろって言うの?好青年のフリして結構非情なことするんだね。」

「そうは言ってないだろ。」



こうやって、すぐ人を煽るのがあいつの悪いところだ。少しは考える時間をくれよ、と思いつつも、俺だってこの子犬をこんなところに放っておくつもりは毛頭もない。俺はガシガシと頭をかいてから「あーもう、わかったよ」と諦めたように言った。



「帰ったら親に飼えないか聞いてみる。もし、ダメでも飼い主が見つかるまでは俺の家で面倒見るよ。」



仕方ないな、と俺は肩をすくめる。その頃の俺は、あいつの我儘にもすっかり慣れてしまっていた。それくらい、あいつと過ごした時間は長くなっていた。

ゆっくり子犬へと手を伸ばし、その頭を優しく撫でてやると、子犬は気持ち良さそうに目を細めた。どうやら、この子犬はどこかの誰かと違って人に懐きやすい奴らしい。
俺はふっと笑い、「おまえも散歩とか付き合えよ?」と言った。すると、あいつは「…まあ、いいけど」と素っ気ない返事を返す。全く、素直じゃない奴だ。

独りぼっちの子犬のために、雨に濡れるのもお構いなしで駆け出すくらい優しいくせにな。

 

雨だけど、ほんわかした気持ちになったそのときだった。突然、顔を上げたあいつは「やばい。あいつらがきた」と焦ったように告げる。それから、すぐに聞こえてきたのは、けたたましい警報音で。それは近くで『ゲート』が開かれたことを俺達に知らせた。

そこで漸く思い出す。ここは警戒区域の近くだったことを。



「!歌川、あそこ。」



警報音が辺りに鳴り響く中、あいつはいち早く門の位置を確認し、そちらを指差した。どうやら、門は俺達のいる公園からかなり近い場所に開かれたらしい。
そこから出現した近界民は、数十メートル離れたところに立っていた俺達の姿を完璧に捉えると、迷わず此方に向かって動き出した。

危機感がないのか、それとも動揺が顔に出ないだけか。「うわぁ、こっち来た」といつもとあまり変わらないテンションで呟いたあいつから、子犬の入った段ボール箱を奪いとる。そして、俺は段ボール箱を片手に抱え、空いた方の手であいつの腕を掴むと、「逃げるぞ!」と強張った表情で言い、そのまま駆け出した。

差していた傘がバサリと地面に落ちることも厭わず、そのまま雨に打たれながらも必死に走り続ける。振り返れば、近界民は間違いなく俺達の後を追いかけていた。くっ、いくら警戒区域に近いからって、一応ここは市街地だっていうのに…!



「なんで、門が市街地に開いたんだ…!?」

「、はあ……知らないよ。それより、こっちって警戒区域の方じゃんか。なにやってんの?バカなの?」

「仕方ないだろ!住宅のある方へ近界民を連れ込むわけにはいかない。ボーダー隊員が助けに来るまで、俺達で時間を稼ぐんだ!」

「うわ、出た。歌川の無駄な正義感。もし、これで近界民に殺されちゃったら一生恨んでやるからね。」



あいつが恨めしそうにそう呟く。けれど、俺はそんなことをさせるつもりなど一切なかった。



「大丈夫だ。絶対にお前を死なせりはしない!!」

「………。」



そう叫べば、あいつはとうとう口を閉じた。必死に逃げている今、後ろを走るあいつの顔を見ることはできなかったが、きっと訝しげな表情をしていたんだろうな。
信用はあまりされていないと思うが、俺は本気であいつを守り抜く覚悟でいた。それこそ、俺の命にかえても、あいつだけは絶対に助けてやりたいと、そう思っていたんだ。



結果、あいつは無傷で助かったが、あいつを守ったのは俺じゃなく、駆けつけた一人のボーダー隊員だった。
そのボーダー隊員は一瞬で近界民を真っ二つにすると、呆然とする俺達に「大丈夫か?」と声をかけた。それは、まるでヒーローみたいな登場だった。

俺はというと情けない話だが、近界民に腹を斬り裂かれ、意識を保つのがやっとの状態だったため、ボーダーの救護班によってすぐに病院へと搬送された。
運ばれる前、最後に見たあいつは、顔色がかなり悪く、今にも泣き出しそうな悲痛の表情を浮かべていた。

ああ、俺のせいだ。俺があいつを危険な目に合わせてしまったから…。後悔だけが残る。もし、あのときボーダー隊員が駆けつけてくれなかったらと思うと、恐怖で身体が震えた。
結局、俺はあいつを守ってやれなかった。無力な自分が酷く情けなかった。



それから俺は、暫く入院することになった。腹に何重にも巻かれた包帯は見ていて痛々しいが、幸いにも傷はそこまで深くなかったようで、痛みさえ我慢すれば歩くことだってできた。
病院に駆け付け、事情を全て聞いた両親には「女の子を危険な目に合わせるなんて、」と説教されたが、その後には「あなた達が生きていてくれて、本当に良かった」と涙ぐみながら抱きしめられた。かなり心配かけてしまったようで、俺は心の底から今回のことを反省した。

それから両親だけじゃなく、姉や担任の先生も病院に駆けつけてくれた。あと、俺達を助けてくれたボーダー隊員である迅さんも。
迅さんは俺の具合を尋ね、助けが遅くなってしまったことを謝罪した。それに慌てた俺が、謝らないでほしい、むしろ命を救ってくれたことに感謝していると必死に伝えれば、迅さんは苦笑を零して「ありがとう」とお礼を述べた。

そして、帰り際。迅さんは俺に「ボーダーに入らないか?」と尋ねた。突然のことにかなり驚いたが、それは今の俺には願ってもないことだった。
こんな無力な俺でも近界民を倒せるかもしれない。今度こそ、あいつを護れるかもしれない。

けれど、それは俺一人で決めていいことではなかった。家族にだって相談しなくてはいけない。少し時間が欲しいことを伝えれば、迅さんはそれがわかっていたかのように頷き、「返事はいつでもいいから、ゆっくり考えるといいよ。怪我も治さなきゃいけないしね」と微笑んだ。なんだか不思議な雰囲気を持つ人だな、と思った。

とりあえず、ボーダーのことは保留にして、俺は治療に専念することにした。


その日、あいつは俺の病室に来なかった。ひょっとしたら俺を心配して会いに来てくれるんじゃないかとか、そんな厚かましい考えを持っていたわけじゃないんだが…。最後に見たあいつの顔がどうしても忘れられなくて、早くあいつに会いたいと、そう思った。
今頃、あいつは何をしているんだろうか。泣いたりしてないだろうか。怪我はないと聞いていたけれど、本当に大丈夫なんだろうか。

窓の外を見れば、もう雨はすっかりやんでいた。藍色の雲の隙間から覗く、綺麗な三日月を見つめながら、俺はあいつのことばかり考えていた。




次の日。学校が終わったくらいの時間に、診察を受け終えた俺と、その付き添いの母親が病室へ戻ってくると、病室の前に誰かが立っていることに気がついた。俺が通っている中学校の女子制服を身に纏ったあの後ろ姿はかなり見覚えがあるもので、俺は思わずフッと口元を緩める。わざわざ学校帰りに見舞いに来てくれたんだろうか。
少しだけ扉をスライドさせ、僅かに開いた隙間から中を覗き込むあいつは、何だか緊張しているようだった。



「……なんだ、いないじゃん。」

「菊地原。」

「うっわあ?!!うたが、むぐっ」

「おい!病院で大声を出すなよ…。」



驚いて大声を出すあいつの口を、俺は慌てて手で覆った。そして、あいつが落ち着くのを少し待ってから、その手をゆっくり外す。そんな俺達を見て、母親はくすくすと楽しげに笑っていた。



「ちょっと、今のは急に後ろから声をかけてきた歌川が悪いんだからね…!」

「ああ、そうだな。驚かせて悪かった。」

「ふふ。ほらほら、2人ともお話は中に入ってしなさい。遼、私はちょっと先生のところに行ってくるから、なにかあったら呼ぶのよ?」

「わかったよ。」



拗ねたように唇を尖らせたあいつと共に病室へと入る。立て掛けてあったパイプ椅子を持ってきて、あいつに座るよう言えば、あいつは少し居心地悪そうにそこへ腰掛けた。
どうかしたのかと首を傾げれば、あいつの視線が俺の腹辺りに向けられていることに気がつく。……ああ、これか。俺はなんてことないように笑って言った。



「反射的に身を引いたから、見た目より深くないんだ。もちろん痛みはあるけど、普通に歩けるし。すぐに退院できるだろうって医者にも言われた。」

「……ふーん、そう。良かったね。」

「ああ。心配してくれてありがとな。」

「はあ?別に心配なんか…、」



バっと顔を上げて否定しようとしたあいつは、その言葉を最後まで言い終えることなく口を閉した。俺を映すその瞳が不安げに揺れている。昨日見たあいつの顔と重なって見えて、俺はくしゃりと顔を歪めた。



「ごめん。」



その声は、決して大きいものではなかったけれど、二人しかいないこの静かな室内ではよく通るものだった。俺は頭を下げたまま、言葉を続けた。



「俺のせいで、菊地原を危険な目に合わせた。」

「………は、別に歌川のせいじゃ、」

「いや、俺のせいだ。」

「………。」

「あのとき、ボーダー隊員が助けに来てくれてなかったら、きっと俺も菊地原も……っ、」



俺はそこで言葉を切った。もしも、なんて考えたところで仕方がないとわかっているけど、それでも考えずにはいられなかった。
どうやら、俺は自分で思っていたよりも昨日の出来事にショックを受けていたらしい。近界民が刃を此方へ振りかざしたときの恐怖は今でも鮮明に残っていて、握った拳がワナワナと震えた。

そんな今にも泣いてしまいそうな俺に、なにを思ったのか。突然、椅子から立ち上がったあいつは、俺の方へと歩み寄り、俺の震えるその拳にそっと自分の手を重ねた。
ばっと顔を上げれば、あいつの顔は思ったより近くにあって、その二つの瞳はまっすぐ俺を見つめていた。



「でも、今私は生きてるよ。」

「…え、」



目を見開く俺に、あいつは続けた。



「もし、あのとき歌川が私の手を引いてくれなかったら、体力も根性もない私はすぐに逃げるのを諦めて、アイツに殺されていたと思う。」

「………菊地原、」


「だから!一度しか言ってやんないけど、」




“守ってくれて、ありがとう”



あいつのその言葉に、そのはにかんだような笑顔に、俺の胸はいっぱいになった。先程まで感じていた恐怖や後悔が、あいつの一言で綺麗に消え去っていく。単純な奴だと思うかもしれないが、俺にとってあいつの言葉はそれだけ衝撃的で、嬉しいものだった。

あいつは捻くれていて、口が悪くて、文句ばかり言うような奴だけど、俺が落ち込んでいたら不器用ながらに励ましてくれた。らしくもなく、感謝を述べてくれた。
その優しさが心地良くて、重ねられた小さな手が暖かくて、ちょっと照れた表情が可愛くて、


そんなあいつを俺はーーー





菊地原に転生した女の子13





「好きだ。」



あいつの頬に両手を添え、しっかりと視線を合わせながらそう告げる。見開かれたその目に映った俺の顔は、自分でも驚くくらい優し気な表情をしていた。

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