俺があいつと初めて会話をしたのは、小学6年生の頃だった。忘れはしない。その日、俺達が住む三門市に突如『ゲート』が開き、そこから『近界民ネイバー』と呼ばれる怪物達が現れた。





菊地原に転生した女の子12





日常が非日常となったその日、まだ門が開かれる数時間前のことだが、俺達のクラスでは年に3回の席替えが行われた。そこで、隣りの席になった女子というのが、あいつーー菊地原なまえだった。

それまで俺はあいつと直接話したことがなかったが、噂でどんな奴なのかは聞いていた。無愛想で口が悪い。噂の真偽はわからなかったが、クラスでは孤立しているようだった。
目に見えたいじめはないみたいだが、あいつの影口を言う奴は割と多い。それが聞こえているのか、いないのか。その日も、あいつは興味なさげに机に顔を突っ伏していた。

新しい席に移動した後、「よろしく」と声をかければ、あいつはまるで不審人物を見るような目で俺を見た。あ、こいつ猫目なのか、なんて考えていたら、あいつは数秒おいて、何も言わずに顔を黒板の方へと向けた。所謂、俺はシカトをされたわけだ。
そんな彼女の態度に不満を持った俺は、何か言おうと口を開いたが、タイミング悪く先生が授業を始めたので、仕方なく俺も前へと向き直った。

あいつの第一印象は、あまり良いものではなかった。



近界民がボーダーという組織によって撃退された後、奇跡的に無事だった俺達の学校は、数日間の臨時休校があったものの、これまで通り授業が始まった。

それから、席が隣り同士である俺とあいつは、必然的に毎日顔を合わせるようになったが、これと言って何か話をしたりするようなことはなかった。……というか、俺が話しかけてもほとんど無視されてしまうんだ。挨拶すら返してくれない。
基本誰とも馴れ合わないスタイルのあいつは、先生から隣り同士で何かするよう指示されたときくらいしか、まともに相手をしてくれなかった。どうやら俺が思っていた以上にあいつはとっつきにくい奴のようで、もう少し愛想よくできないんだろうかと日々あいつと接する度に考えていた。

けれど、まだその頃の俺とあいつは只のクラスメイトで、席が隣り同士というだけの関係だった。今みたいに一日のほとんどを一緒に過ごすような仲ではなかったし、俺もあいつのパーソナルスペースに踏み込むつもりは毛頭もなかった。


俺の中で、あいつに対する気持ちの変化が現れたのは、多分あの日からだ。



席が隣り同士のため、あいつと日直をすることになったその日は、雪が降りそうなくらい寒い日だった。
日直の仕事と言えば、授業の始まりと終わりに号令をかけたり、黒板を消したり、配布物を配ったり、日誌を書いたりするんだが、協調性のないあいつはそれを二人で分担して行おうとはしなかった。
だからと言って、全ての仕事を俺に押し付けたりするほど不真面目な奴じゃない。むしろ、あいつは一人で勝手に仕事を済ませてしまう奴で、気がつけば俺の仕事がなくなってる、という事象が多々起きていた。

それをラッキーだと思える人間だったら良かったと思う。しかし、残念ながら俺も自分がやるべき仕事を人に任せっきりにできるほど、不真面目な人間ではなかったんだ。

あいつの身長では黒板の上まで消せないことに気付いた俺は、あいつが踏み台を取りに行く前に、上の方に書かれた文字を消してやった。すると、それに気付いたあいつはあからさまに顔を歪め、何故か俺を睨みつけてきた。
あれ、おかしいな…。感謝こそされど、恨まれる筋合いはないんだが、と俺は困惑した表情を浮かべる。あいつは俺から視線をそらすと、残りの文字をさっさと消して自分の席へと戻っていった。


それから、俺とあいつの仕事の奪い合いが始まった。…いや、俺の方は別に奪い合う気はなかったんだけど。
あいつが日直の仕事をそれまで以上にテキパキとこなすから、俺の仕事が本当になくなってしまって、それでは困るからと俺も負けじと仕事を探した。

号令の声は被ったし、競争するように消した黒板はちょうど真ん中辺りで、二人の黒板消しがぶつかった。教室まで配布物を運ぶ際には、どちらが多く持つかで揉めていたが、見かねた担任が平等に分けてくれたことで治まった。

それまで、俺はあいつを冷淡で消極的な奴だと思っていたが、その認識はどうやら間違っていたみたいだ。あいつは結構、熱くなりやすい。それから負けず嫌いで、我が強い。
日誌を書いていれば、「先生の名前、いちいちフルネームで書く意味あるわけ?」「お前、書くの遅すぎ」と横からグチグチ言ってくる。あいつは自分が書いた方が早く終わると思っているらしい。あんまりにうるさかったから、渋々といった様に日誌とペンを手渡してやれば、あいつは満足気にそれを受け取った。
意外と単純で、表情がコロコロ変わる。我儘だけど、可愛い奴だなと思った。


日直の仕事は、書き終えた日誌を職員室にいる担任に提出しておしまいだ。冬は日没が早い。あいつの家がどの辺りにあるのかは知らないが、暗くなる前に帰ったほうがいいだろう。
今日は特に用事もないし、日誌は俺が提出しておくと言ったが、あいつは聞く耳を持たなかった。まあ、そうなるとは思っていたけどな。相変わらず人の親切心を素直に受け取ってくれないあいつに溜息を溢しつつ、「なら、一緒に提出しに行くか」と提案すれば、「わざわざ二人で行くとか、バカなんじゃない?」とあいつは嘲笑しつつも、俺の隣りに並んで歩き出した。
……なんだ。こいつのことだから嫌がると思っていたのに、一緒に職員室まで来てくれるのか。驚きを顔に出さないよう努めながら、俺はチラッと横に視線を投げた。肩辺りまで伸ばされた彼女の茶髪がサラサラと揺れている。なぜだか、無性にその頭を撫でてやりたくなった。

二人で日誌を提出しに行くと、担任はくすくすと笑い「随分、仲良くなったのね」と嬉しそうに言った。そこで、確かに今までこいつとこんなに会話をしたことはなかったなと気付く。あれを会話と言っていいのか、微妙なところではあるが。
担任の言葉に眉間を寄せたあいつは、「どうしたらそう見えるんですか?先生の目は節穴ですか?」と失礼極まりないことを言い出したので、俺は「こら!」と慌ててあいつを叱った。
まさか大人に対してもこんな態度をとるなんて…!と思わず頭を抱えたくなったが、担任は気にした様子もなく、「二人とも気をつけて帰りなさいね」と微笑むだけだった。



「すっかり暗くなってしまったな。菊地原、家はどの辺りだ?」

「……まさか、家まで送ろうとか思ってないよね?」

「お、察しがいいな。」

「やめてよ。そういうの、いい迷惑だから。」



あいつは冷たくそう言うと、病院や市役所がある方へと歩き出した。ああ、良かった。帰る方向は俺と同じみたいだな。後を追い掛ければ、あいつは「げっ、お前もこっちなの…?」と嫌そうな顔を隠しもせずに呟いた。全く失礼な奴だ。

俺はあいつの隣に並んで、歩道を歩いた。なんだか、今日一日でかなり距離が縮まった気がする。俺が何気ない話を振れば、あいつは短い言葉だけれど、ちゃんと返事を返してくれた。今までは無視一択だったのに。
少しは心を許してくれたんだろうか。まるで嫌われていた猫が少しだけ懐いてくれたような、そんな嬉しさが俺の胸をいっぱいにさせた。そう言えば、こいつは猫目だし、雰囲気もなんか猫っぽい気がするな。
フッと口元を緩ませれば、あいつはそれを敏感に察知して、俺の方へ振り向いた。「うわ、なに笑ってんの。きもちわる」と顔を歪めたあいつに、俺は「気持ち悪いは酷いな」と苦笑を漏らすのだった。



「あら、なまえちゃん。今お帰り?」



突然、後ろから声をかけられて俺達は振り返った。『なまえ』というのが、始め誰のことだかわからなかったが、そう言えばこいつの名前は『菊地原なまえ』だったことを思いだす。
声の主は優し気な雰囲気の女性で、彼女は両手で茶色の紙袋を抱えながら、俺達の傍まで駆け寄ってきた。



「ちょうど良かったわ。なまえちゃんにこれ、渡そうと思っていたのよ。なまえちゃん、蜜柑は好きかしら?」

「え、まあ、嫌いじゃないけど。」

「そう、良かった!一昨日はどうもありがとね。うちのお祖母ちゃん、なまえちゃんに親切にしてもらったこと、すごく嬉しそうに話してたわ。」

「……別に大したことしてないよ。」



女性から蜜柑がたくさん入った紙袋を受け取ったなまえは、唇を尖らせながらそう言った。けれど、どうやらそれは照れ隠しみたいだ。頬が微かにだが赤い。
女性もそれがわかっているのか、「よかったら、今度うちに遊びに来て。お祖母ちゃんも絶対喜ぶから」とにこやかに言った。

女性が立ち去った後、俺はあいつが両手で抱えている紙袋を代わりに持ってやった。蜜柑がたくさん詰まった紙袋は見るからに重そうだし、学校鞄と一緒に持って帰るのはきっと大変だろうから。
始めは余計なお世話だと嫌がったあいつだけど、俺が「じゃなきゃ、家まで送っていくぞ」と言えば、大人しく引き下がった。だんだんわかってきたことだが、こいつは甘えることが極度に下手らしい。

不機嫌そうな顔で横を歩くあいつに、俺は笑みを浮かべながら話しかけた。



「人助けか?偉いな。」

「……目の前をのろのろ歩かれて苛立ったから、荷物持ってあげただけだよ。っていうか、人助けばっかしてそうな奴に褒められてもねぇ。」

「はあ、全くお前は……、」



天邪鬼というか、捻くれ者というか。文句や皮肉なら誰相手でも関係なく言えるくせに、こういうときには素直になれない。なんて不器用な奴なんだ、と俺は溜息をついた。
きっとこんな性格だから、たくさんの人にあらゆる誤解をされているに違いない。俺だって始めは良い印象を持っていなかったんだ。ちゃんとよく知ればすごく良い奴なのに、なんだか勿体無いなと思った。


その日から俺は、積極的にあいつに構うようになった。あいつは迷惑そうな顔をしていたが、俺は気にせず、たくさん話しかけた。
もちろん、本気で嫌がるようならやめるつもりだったが、たまに昼食を共にしたり、勉強を教え合ったり、一緒に下校したりしても、あいつは文句を言いつつ俺を拒絶したりはしなかった。だから、俺はより仲良くなれるように、あいつのことをたくさん知ろうと努力した。

あいつは相変わらず口が悪いし、捻くれた奴だったけど、彼女の本質にある優しさは隠しきれていなくて。それを垣間見る度に、俺の心は温かくなった。あいつのことをもっと知りたいと思った。俺はどんどん、あいつを好きになっていった。




それから月日は流れ、あの雨の日。俺達は近界民に襲われた。

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