手紙


十分おきに鳴る甲高い目覚まし時計を、使わなくなったのはいつだろう。

俺が実家を出て行く朝、母がくれた黒い時計。
当時の俺が使うにはあまりにも格好悪くて、素直に喜べなかったのを覚えている。



「日比谷、そろそろ起きて。遅刻するよ」

「あー……」

ましな返事もできずに重たい体を起こすと、甘ったるいバターの匂いが漂うのを感じる。

今日は食パンにバターのみだ。
軽く予想を立ててテーブルの上を眺めると、案の定二枚の食パンがこんがり焼かれていた。


「何してるのさ、はやく顔洗ってきな!今日は飲み会があるんでしょう?はやく会社に行っててきぱき働かないと、上司に怒られるよ」

「いつまで仕事してるんだ!飲み会に行けなくなるだろう!って」と、見たこともない上司の真似をしている。


ーー木下は、昨夜のことを覚えていない。
俺が何をしたのかも、自身が何を言ったのかも。


「……ミサキ、さん」


ゆっくりと昨日の記憶を辿るように呟くと、木下が顔を覗かせて「何か言った?」と小首を傾げる。
形から入る俺が料理もしないのに買った茶色のエプロンが、今では様になっていた。


「……いいや、何でもない。コーヒー淹れてくれるか」

「もう淹れてるよ、お坊っちゃま」


彼がはにかむ表情が愛くるしい。
彼を傷付けた恋人が憎たらしい。

俺はもう随分と、この生活を当たり前として受け入れてしまっていた。



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