めくるめく


ガチャガチャと食器を洗う水音を遠く聞きながら、俺は持ち帰った仕事を片付けていた。



肌寒くなってきたこの季節は、まだ薄着でいいかなと甘く見ていると風邪を引く。

さほど強くない外の風を感じながら、鈴虫のさみし気な声を聞いていた。



「日比谷、さっきの話だけど」


後片付けが終わった木下が、水に濡れた手をタオルで拭きながら俺の横に座った。


「ん?」

「本当に俺が決めていいの?日比谷、どこか行きたいところとかない」


最近感じるようになったことといえば、遠慮が多くなったこと。
というよりは、再会したあの日よりも昔に近付いたみたい。


「俺は別にどこでもいいよ。木下が行きたいところにしな」


嬉しそうにはにかんだ木下が、少し照れて俯く。


「じゃあ、当日までのお楽しみってことでいいかな。俺もすぐには決められないし」


頷くと、満面の笑みを見せてまたキッチンへと背を向ける。

服の合間から見える腕の痣が、出会った当初よりは薄くなっているものの、まだ痛々しい。


「木下」


白くか細い腕が今にも折れてしまいそう。
そう思って、彼の腕を掴んだ。

掴まれた腕を見つめながら、彼は不思議そうに小首を傾げた。


「……あれからさ、」


腕にできた青紫色の痣を撫でるようにして触ると、勢いよく振り離された。


木下の表情が見る見るうちに青ざめていく。やばい。


「き、木下、悪いっ」

「あっ……いや……ううん。ごめん、ちょっと驚いて」


確認できる範囲の傷跡は、確実に消えていっていた。
それでも目を付けていられない昼間は、何が起こるか分からない。

木下は本当に、あれから恋人と会っていないのだろうか。

もしかしたらアルバイトと称して、俺のいない間に会っているのかもしれない。
そして普段確認することのできない、背中や腹などにまた暴行を加えられているのかもしれない。


余計なお節介だと分かっていても、どうしても目では、無意識のうちに彼の体を観察していた。



「風呂、先に借りてもいいかな。日比谷はまだ、仕事あるだろう」


ぎこちなく笑った木下が、俺から離れて支度をはじめた。


「……ああ、まだ終わらないからいいよ」

「ありがとう。じゃあお先に」


パタパタと走り去る足音が虚しく響く。



調べる機会なんて考えれば山ほどあった。

木下との生活をはじめて一週間ほどした頃から、俺と彼は同じベッドで寝ている。
寝ることしか楽しみがないからと、大きめのベッドを買ったあの頃の自分を、褒めてやりたい。
疲れていつも先に寝る彼を見計らって、こっそりと覗いてしまえばいいのだ。

もしくは風呂だ。初めて彼の傷を見たあの日のように、偶然を装って見てしまえばいい。

あとはジャレているふりをして、そのまま……そのまま?


「っ……」


“変なこと”を想像するとすぐさま体が熱くなった。
想像してしまった自分にも腹が立つし、反応してしまった情けない体にも腹が立つ。


「クッソ」


仕方なくトイレに閉じ籠り、同居しているとなかなか自分の時間が作れないから、と俺は下手な言い訳を自分に訴えた。



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