雨が降ったその日


小さな机と座布団が三枚、他にはタンスや本棚があるだけの何の特徴もないこの部屋に、随分前から来たかったきがする。




「最近の若い子が何を飲むのか分からなくてね。コーラでいいかい」

「あ、はい。ありがとうございます」


透明のグラスに注がれたジュースが、泡をたててプツプツと音を出す。


「あの」


どうして外に出てきたんですか、と聞こうとして、声が出なかった。変な期待をして傷つくと思うと辛かったから。



「雨が降ってきたでしょう、三時過ぎくらいに。また君が来てくれる気がしてね」

「っ……」


心を読んだような彼の笑顔が、嬉しかった。けれど同じくらい、苦しかった。

大人だから気を使ったんだろうなとか、俺の態度が分かり易かったのかなとか、比べてしまう部分はたくさんあった。
俺はまだ高校三年生の社会に出ていないガキだけど、彼はもう社会にも出ていて結婚も経験していて、大切な誰かを失う痛みも知っている。そんな人を俺が、俺なんかが、好きになってしまっていいのかな。



「……俺は、俺はあなたにとったら、ただの雨宿りの学生なのかもしれません。でも」


でも、できる事なら知りたいと思う。その好意こそが彼を知らないが為に起こそうとする身勝手な行動だとしても。



「知りたいんです、あなたのことが」



必死になって出し切った声は掠れていて汚かった。



数秒の沈黙の後、彼の呼吸を感じる。




「桑原秀助」

「え」

「自己紹介がまだだったでしょう。大事なことを忘れていたね」


申し訳ない、と眉を下げて笑む男に、俺も慌てて返す。


「涼太ですっ。小田、涼太です」

「そうか。涼太くんか」

「は、い……」


赤くなっていないかな。目が泳いでいないかな。変な動きをしていないかな。そんなことばかりが気になって、身体に熱を感じながら固まっていることしかできなかった。


「若い子はいいね。高校生の間が一番楽しかった」


奥さんと出会ったのは高校生のときですか。知りたくて唇を動かしても鉛みたいに沈んでいった。


「もう二十九になってしまう。三十路も近いなあ」

「若いですね。そんなふうには見えません」

「そうかい。嬉しいな」


やっと口を開いてみても目は合わせられなかった。よく笑う彼の、桑原秀助さんの口元をいつまでも見つめていた。どんな表情をしていたかは、分からない。





そのあと彼はたくさんのことを俺に教えてくれた。カレーライスは小さい頃から作っていて得意料理だということ。他にも卵焼きとお味噌汁は作れること。今は美術館の学芸員として働いているということ。兄弟は下に一人だけ妹がいること。実家ではもう七歳になるゴールデンレトリバーを飼っていること。





ーー雨はあまり、好きじゃないこと。




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