雨が降ったその日


次の日の夕方、ぽつぽつと雨が降り出した。天気予報でも先週から梅雨入りを知らせていたので、青い折り畳み傘をひとつ、持って来ていた。


「あ、涼太!なんだよお前、傘持って来てたのかよ」

「朝ニュースでやってたろ」

「知らねえよー。あーあ、濡れて帰るしかねえなあ」


地面を濡らす雨粒は徐々に増えていきコンクリートを色付ける。それでも気温はじめっとしていて、あまり居心地がよくない。湿気で髪の毛があちこちに跳ねていた。


「傘、貸してやるよ」

「は?涼太は?」

「濡れて帰りたい気分なんだよ」


変な奴、と笑われた。だったら一緒に帰ろうと誘われたけど、遠慮してひとりで帰ることにした。





行く宛などないはずなのに、無意識に向かうのはあの男の家だった。

雨宿りをしていた俺を向かい入れてくれた彼。
大きな具の、歪なカレーライスしか作れない彼。
優しく笑い気遣いのできる彼。
桑原という苗字の、彼。



今頃何をしているのだろうと考えてはストーカーみたいに家の前に立っていた。


「おかしいよな、俺」


ボソッと呟いてみても肯定される違和感が見つからない。男が男を好きだという、根本的な間違いがあるのに。『またおいで』と微笑む彼の表情がいつまでも頭の中に残っていて、来ちゃいました、と誤魔化したくなった。気持ちの悪い雨に濡れた体が、冷え切っていて凍える。



「あれ?」


不意に聞こえた声を聞いて顔を上げると、彼がいた。俺が会いたくて仕方なかった彼が、目の前にいた。


「どうしたんだい。また傘を忘れたの」

「いや、傘は、持ってたんですけど……」


再び俯きぼそぼそと告げる俺に、男は一歩一歩近寄り目の前に立った。話を聞こうと小首を傾げる彼が、愛おしかった。


「友達に貸したんです」


一口でそう言い切ると彼は笑って俺の手を掴んだ。


「君は優しい人なんだね。どうぞ中にお入り」


触れた手が微かに温かい。

その大きな手のひらが、優しい。


「二度も、迷惑じゃないですか」

「またおいでって、言ったでしょう」



優しくて、ずるい。


「……はい」




人には優しくするものだと思っていた。どんな相手であろうと優しい言葉をかけておけば、笑っていれば、悪い人に見られないだろうから。彼の言った『またおいで』がどういう意味を持つのかは知らないけれど、どうせ頭に浮かんではすぐ消えてしまう程度のものだと思っていたから。ただ素直に、嬉しかった。



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