ここの人たちが優しいのは直ぐにわかった。はたけさんが守りたいと思う場所。それだけでもうわたしには充分な理由だった。

すき。たった二文字の言葉なのに、たった二文字。これを伝えるということはなんて難しいのだろう。簡単に言葉にしてしまったらこの心の奥底にまで巡っている想いが全て伝えきれずに残ってしまいそうで少し怖くなる。
これを言ってしまったらはたけさんが守ってきた何かを壊してしまわないか。今の同居人という関係が崩れてしまわないか。何度も思った。でも、伝えずには居られなかった。
こんなにも文字で記録してくれているのにわたしの前では何もそんなそぶりは見せず、何度もわたしが記憶喪失になっていることを言わず、悟らせずに優しくわたしを置いてくれるはたけさんの目を細める顔を見て、どうして言わずに居られただろう。

生々しい話、俺はユナを見る度、スキンシップ程度でも触れる度に何度も抱いてしまいたいと思った。そりゃ、すきな人だし、俺も良い歳だ。思わない方が健全じゃない。でも、ここで俺が安全な同居人という関係を崩したらと思うと出来なかった。ユナにとって俺は最後まで安心して頼れる存在で居たかった。そんな我侭と天秤に掛けたら答えは明確だった。これ以上ユナの心を壊してしまうこと無い。

けど、すきだと、ユナの唇が紡いで俺は直ぐに泣きそうになる。こんな弱い俺でもいいとユナは言ってくれるだろうか。
「ユナ、…ユナ」
名前を呼ぶ声も情けない。涙声になる。なんで俺はユナがらみだとこんな泣虫なのか。
名前を呼ぶとユナは顔を上げた。彼女も何度も忘れた自分を知って今とても辛いはずだ。俺は覚えているさり気無いしぐさ、癖、過去のこと。全て彼女の中には存在しない。
「わたし…っ」
はたけさんはたけさんはたけさん。何度も心の中で名前を呼んだ。日記の中にはカカシと彼のことを名前で呼んでいる私も居た。わたしはどれだけ彼を裏切ったのだろう。何回彼は忘れられてしまったのだろう。考えると、やっぱり思ってしまう。
「もう、わたしを忘れてしまっていいから…」
自分でも少し賭けだった。最後まで言い切れるか。哀しい。さびしい。でも、これまでわたしがしてきたことに比べれば。
だって簡単だ。苦しいのは今のわたしだけ。きっと時が来てまた忘れてしまったらそこには、はたけさんの存在も記憶もないのだから。

「時間を使うな、って?」
「は、い」
泣きそうな声をしている。
「また、俺のことを忘れるから?俺が可愛そう?」
「…」
「勝手に決めるな。何度忘れられたって俺はユナと会ったこともユナから貰ったものも忘れられない。」
「でも、そんなのっ」
駄目なんて、言えない。言いたくない。だって、わたしはどうしようもなく彼のことがすきで、どうしようもなく嬉しい。こんなすきになってもらえてすきで、なんてこんな一生の恋を何度も忘れてしまうの?自分が憎たらしい。呪わしい。なんで、なんでばっかりが心に巣食う。
「何度だってすきにさせる。それでいいだろう。何度だって俺たちの恋愛をすればいいだろ。…意見は?」
薄く笑う。困ったように眉を下げて優しく目尻を下げて。
彼は卑怯だ。そんなこと言われてわたしが首を横に触れるわけが無い。
ねぇその手でどんなふうに私に触れていたの?
その唇はどんなふうに愛を綴っていたの?
それをわたしは今のわたしで聞けるの?

「うれし、い」
「俺も」
嬉しいよ。目尻に皺を作ってはたけさんは笑った。


20120131
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