「奈良さん、」
「ん?」
ベッドの上で横になる私の上に覆いかぶさる奈良さんの影が掛かる。
スーツ姿の奈良さんは私の言葉にいつも通りのなんともとれない表情を向けながらしゅるっと中指でネクタイを緩めている。腕で体を支えているために浮き出る上腕ニ頭筋だとか、そっけない表情からは想像が出来ない指のやさしさだとか、煙草の匂いだとかが胸を擽って切なくなる。

「泣きそうだな」
「…奈良さんが、すきだから」

「そか」

襟元から抜き取られたネクタイがベッドのどこかに放られるのを目で追っていると、そんな声が降ってきて胸の辺りが熱く締め付けられるのを感じながら奈良さんを見た。奈良さんはほんの少し目を細めて口角を上げる。会社では殆ど見ることの無い表情だ。
会話が無くなって、お互いの呼吸音だとか動くたびに軋むベッドのスプリング音が妙に耳につく。何度会ってもこういう空白の時間は慣れなくて私の心臓はどんどん心拍数を上げていく。一生分の鼓動のどのくらいの割合を私今奈良さんに使っているのだろう。使わされているのだろう。
私はもしかしたら奈良さんに殺されてしまうのではないか、そんな錯覚までしてしまうほど目の前の奈良さんは私の全てになってしまっている。そんな途方もない事を考えていると唇が近づいてきた。薄っすらと開かれたその唇に魅入る私の唇に、重なる。

「ふ、っ」
後頭部に置かれた奈良さんの手が熱い。啄ばむように唇に触れて、何度も角度を変えては何度も落としてくる口付けに溶けてしまいそう。まるでいつくしむかのように触れてくるその唇に勘違いをしてしまいそう。
もう、目も開けていられない。目を閉じて私にキスをしてくる奈良さんが綺麗で、上司ではなく男性で、ずっと見つめていたら心臓を持っていかれそう。気持ちい、切ない、しあわせ、ふしあわせ。いろんな感情が私の中を巡ってあふれ出てしまいそう。
唇が離れて薄っすらと目を開けると視界は妙にぼやけていた。奈良さんは私と目が合うとフっと薄く笑ってぷちぷちとワイシャツのボタンを外して口を開いた。


「やらしい顔」
腰が重い。適度に冷房の効いた部屋、何も纏わぬ姿で布団にもそもそと包まりながらそんなことを思う。生理の軽いときのような疼きが下腹部に残っていて、それが奈良さんとひとつになった時間を思い出してしあわせにも苦しくもなるのだ。

「激しかったか?」
「ちょっと、…結構?」
「はは、そうか」
シャワールームから腰にタオル一枚を巻いた格好で出てきた奈良さんは、ベッドの上から動けない私を見て口を大きく開けて笑いながら話しかけてきた。布団で顔の半分を隠しながら私はそれだけ言う。ベッドの端に腰を下ろして床に散らばった私の服と奈良さんがホテルに入る前まで着ていたスーツをベッドの上に置いた。
シャワーを浴びたばかりだからなのだろうけど、拭いきれていない滴がツゥっとその引き締まった体に伝って目をあわせていられない色気を放っている。笑顔は年齢を感じさせない幼さがあるというのに。

「んじゃ、また来週な」
「明日は、会えないんですか?」
「流石に日曜は家に居ねぇとな」
奈良さんの帰りを待つ人のいるところへ帰るため、奈良さんはきたときよりも綺麗にスーツで身を包み部屋の入り口にある清算機にキャッシュカードを通しながらそう言った。まだ下腹部に疼きのあるまま服を着て奈良さんの隣に立って居る私が惨めな気持ちを隠して営業で身に着けた笑顔で「そうですよね」と言うと、奈良さんは私を見てくしゃりと頭を撫でた。
骨ばった指で髪を梳かされるとやっぱり心臓は苦しくなった。
いつまでもこのままじゃいけない。会社でただの部下と上司として会うとき、体を重ねるとき、こうして清算をしているとき何度だって離れなくちゃと考えているのに、日曜日は絶対会ってくれないのに、奈良さんには大切な家族がいるのに。
計算されたようにタイミングのいいこの指とか、やさしさとか、言葉に惑わされて抜け出せない私。関係は人に誇れたものでなくても私の気持ちだけは誇れるきれいなうちに離れたいのにそれを奈良さんの指は許してくれない。

どうしようもなくくるしくてなみだがでるのです

また来週な、と宥めるようにやさしい声で言いながら額に口付けてくるこの男が憎くて、どうしようもなくいとしい。


へそ
20110223