For Good | ナノ

04.Last concert

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 先日食べ損ねたチーズケーキを彼に強請ることもできずに、恭介は自分で作っていた。
 キッチンに立ち、時折、すみれの写真に目を遣り微笑む。
「ねえ、明日だよ」
『わかってるって』
 彼女がそう言って苦笑する様が脳裏に浮かび、恭介は笑おうとして思わず涙が零れそうになったので瞳を閉じた。最近、どうも涙もろくていけない。
 明日は茜の、そして明後日は葵の卒業式だ。式には彼と両家の祖父母が参列する。
 昨夜、彼のスーツにアイロンを掛けると彼が何か言いたそうに恭介を見たけれど、恭介は気づかないふりをした。
 ここですみれとふたり、のんびりとみんなの帰りを待とう。
 いや、違う。
 すみれを想う人たちの心の中に彼女はいるのだ。
 式にもいるだろうし、この家で留守番をする恭介の隣にもいてくれるだろう。
「すみれちゃん、ごめん……」
 開け放した窓から爽やかな風が舞いこむ。
 春が来て、茜と葵は小学校を卒業する。同じ敷地内の中高一貫に進学するとわかってはいても感慨深い。
 実の親でない恭介でさえそうなのだから、すみれはどれほど嬉しかっただろう。
『恭ちゃん。泣いていいんだよ』
「……すみれちゃん」
 幻想だとわかっているのに、体が包み込まれた気がした。
「ごめん、すみれちゃん、ごめん……」
 いったい自分は何に対して謝っているのだろう。
 彼女を裏切ったこと?
 これから彼を裏切ること?
「きみたち夫婦に迷惑かけてばっかりだよ、俺は」
『ふふふ』
「もう、否定してよー」
 つまらないひとりごとだとわかっていても、どうしても彼女がそこにいる気がして。
 春は好きではない。彼女がこの世を去った春と夏の境目を強く意識してしまうから。
『恭ちゃん。大好きだよ、恭ちゃん』
 そう思いたい、恭介の傲慢。
「きみの声で、聞きたいよ」
 呟きは涙に震えていた。


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