01.図書委員の日常
その言葉の意味するところはひとつ。
まったく自信家なところは変わらないと苦笑してしまう。
「ああ。心配するな」
習熟度別のクラス編成になるから、応用に入ろうというお誘い。
幼い頃から一緒にいたから、だいたい幼馴染たちがどれくらいの成績かは見当がつく。おまけに内部生の情報網はお互いの足の引っ張り合うために凄まじい。
「なあ、亮介。どうやって噂を止めたの?」
「ヒロに訊いてくれ」
「なるほど……。瑞樹によろしく」
手を振りひらりと身を翻す。時間を食ってしまった。
迷惑ではない。むしろありがたいと思っている。だが、これからどうしようか。いきなり彼のところに行かないというのもおかしなものだし、第一、樋山が緒方から離れたくない。
まったく面倒臭い世界だ。
噂が事実であるにせよないにせよ、ホモだと周りから認識されただけでいじめられてしまう学校なんて。
早く彼に会いたいと図書室に飛び込むと彼はやっぱり待っていてくれた。彼の隣に座り、ぼんやりとこれからのことを考える。
冬の足音が聞こえてくる11月。窓から吹き込む風は少し冷たいけれど体が震えるのはそのせいではない。
もし噂が広まったら標的になるのは緒方だ。自分を安全圏に置きたいから楽観視しているわけではない。
苛める人間は、要するに自分までホモと見られたくないから徹底的に排除する。ただし標的が内部生だと幼い頃から知っていて少々後味が悪いし、特に入学して日が浅く、繋がりのない外部生の方が追い出しやすい。たったそれだけのこと。
まったくそんなに世間の目が気になるか? と樋山も最初は呆れていた。
世間が夏扇学園にホモが多いと言うのはやっかみだろうと思っている。名門のおぼっちゃま校と呼ばれる夏扇学園。
幼稚園はともかく義務教育の小中を私立にやれる家庭はそんなに多くはない。高校からならやれると考えても、夏扇は中高一貫だから高校からは入れない。
なのに誰かが真に受けて、ホモだと噂がたった人間を排除し始めた。
馬鹿馬鹿しいが、実際に心を病み学園を去ったものがいるのも事実だ。
ずーっと昔から。
ぽん、と頭を撫でられ意識が浮上する。
「予鈴が鳴った」
彼から気まずげに言われ真っ青になった。
いくらぼーっとしていたとはいえ緒方連れ戻し係失格だ。
「いつ!」
「今だが……」
「ああまずい早く本出して」
彼の差し出す本に印を押して階段を駆け上がって、ふと隣を見れば彼がいる。
目が合うと彼の口端があがった。
あ、馬鹿にされた。
まあ、確かにいつもと逆だけど、幸せだからそれでいい。
***
中学2年生になりました。
クラス替えで緒方と離れてしまい、いつだって考えるのは彼のこと。このままでは中3で応用クラスは難しいかもなんて嘯きつつ成績はちゃっかり上位をキープ。
そんな樋山の所属委員はもちろん図書、昼休みと放課後を過ごす場所も図書室だ。
放課後の図書室、彼が紙を捲る音だけが響く。いつもは隣で読書する樋山も今日はそれどころではなかった。
春でただでさえ肌寒いのに、緒方と樋山のふたりだけしかいない閑散としている図書室は冬とあまり変わらない。いや、暖房が入っていた分、冬の方がましだった。
寒がりの緒方は読書中に無意識に暖を求めたらしい。
今の緒方の背もたれは樋山で、その背もたれ本人は生殺しだと天を恨んでいた。せっかく彼に薦めてもらった本も、ちっとも頭に入ってはこない。
中1の秋、緒方に告白を聞かれて了承のような返事をもらったものの特に進展はなくあれはもしかすると夢だったのではないかと樋山は自らを疑っていた。
だって、メアドすら知らないんだよ……! と誰かに訴えたいが、その訴えたい本人に微笑まれると何も言えなくなってしまうからとりあえずは現状維持だ。
樋山だって行動を起こそうと考えなかったわけではない。
メアドだって春休み前に訊こうとしたが、なかなか言い出せないまま休みを迎えた。
もちろん、遊ぶこともできなかった。それがこの形容不明の関係の原因かもしれない。
いや、形容はできる。友人だ。遊んでいなくても、長い時間を共に過ごす友人。たぶん彼はそうとしか思っていない。
それでいいじゃないか、少なくとも彼と一緒にいることはできると冷静な自分が言うがどうにも納得できない。
背中越しにじんわりと伝わる熱が愛しくて、彼に好きだと呟いた。
聞こえていないとわかってるから言う自分に、この状況を打破できるはずがないと自嘲しながら。
ただでさえ図書室に籠りがちな緒方には、中1のときとうとう友人はできなかった。それはグループワークにも影響していて、二人組以上での複数の活動のときは樋山が緒方と組んでいた。
今は緒方とクラスが離れてしまったが、幸い幼馴染の亮介と寛樹が彼と同じクラス。
彼をひとりにしないでくれと頼むまでもなく亮介はさりげなく動いてくれた。寛樹は不満そうだ。緒方が周りに甘えているように見えるらしい。感じ方は人それぞれなので樋山はもう何も言わないがなんだかんだ言いつつ優しいふたりには感謝している。
幼馴染たちは彼について何も訊いてこない。あの噂のときだけだ、彼らが干渉してきたのは。樋山に興味がないだけという可能性も考えられるが悲しいのでそっと目を瞑る。
あの噂は程なくして治まったが、気は抜けない。緒方を好きなことが周りにばれないように常に気を張る日々。これ以上彼を孤立させる原因が自分であってはならないと樋山は緒方を好きになったときから戒めていた。本当は彼にも知られたくなかったけれど、それは仕方がない。
疲れることなんてない。好きな人がこちらを見て微笑んでくれる。それだけで幸せだ。
緒方が身じろいで服が擦れて、ああもう読書なんてできるわけがない。
「ねえ緒方、好きだよ」