01.図書委員の日常
ギィと嫌な音を立てて図書室の扉が開く。
心なしか最初の頃より開けにくい。自分は構わないが、両手に本を抱えた彼がこれを開けるのは楽ではないだろう。
明日にでも家から油を持ってきて蝶番に注そうと決めて、誰もいない閲覧用の机を横目に目指すは小説スペース。
薄暗いが風が吹き抜けて心地よい。風を目で追うと視界の隅に彼が映り込んだ。
彼はいつも通り小説の棚を背もたれにして本を読んでいる。
「緒方」
呼びかけても返事がない。彼が本に集中して反応がないのはいつものこと。
邪魔する気もないので上履きを脱ぎ彼の隣に腰かけた。
小説スペースだけ、座って本が読めるようにカーペットが敷いてある。
上履きを脱がなくてはならないから面倒ではあるけれど、彼の隣に自然な形でいられるこの空間を樋山は気に入っていた。
「緒方」
間近にある彼の横顔を見つめもう一回呼びかける。
返事はない。そう、返事はない。聞こえてないのだから。
彼に聞こえていないことを確認したから、今日も安心して言える。
「好きだよ」
囁いてまじまじと見つめる。やっぱり彼には聞こえていない。
気づかれないとわかっているから言うくせに、はあっと大きく吐いた息は返事が欲しいと嘆いているようで恨みがましい。
気持ちのやり場がなくて図書室をぐるりと見渡す。また風が吹き抜けて本の香りが舞い上がる。
昼休みの図書室は誰もいない。放課後の図書室も。
この場所を有効利用しているのは校内で彼だけだと知っているし、その彼も本に没頭している。
図書委員より長くの時間をここで過ごす彼を見つめる至福の時を無粋な予鈴が切り裂いた。
昼休みはもう終わりなのに彼は気づいていない。
「緒方」
返事がない。肩を叩く。気づかない。
仕方ないので本を取り上げた。毎日のことなのに状況が把握できず呆然とする緒方に告げる。
「昼休みはもう終わり。借りる本は?手続きをするから貸して。あ、返す本はあっちに置いといて」
彼は本棚を見つめると迷うことなく9冊引き抜いた。
その上に読みさしの1冊が載せられるのを確認して受け取り、上履きを履いてカウンターに入る。
手際良く貸出印を押しているうちに笑みがこぼれた。
最初は図書委員なんて面倒なだけだった。
図書室なんて誰も来ないのに、誰かが来たら困るからというご尤もな理由で毎週拘束される。
まあそれも彼のお陰で変わったけど、と緒方を盗み見れば貸出カードに素晴らしいスピードで学年クラス番号名前を書き込んでいた。まったく慣れたものだ。
彼が借りる本は毎日10冊。そして必ず翌日には返却する。
そして、貸出印と返却印を押すのは図書委員である樋山。
本当は一度に3冊までしか借りれないのだが、以前それを告げたら無言で抗議されたので根負けして緒方だけ10冊になった。
どうせ誰も使わないし、樋山がしゃべらなければばれることもない。
「はい、終わり」
印を押し終わり5冊抱え込む。彼の腕にも5冊。授業開始まであと3分。なんでこんなにわくわくするんだろう。
「走るよ」
頷く気配を確認して教室への階段を駆け上がった。
***
図書室の蝶番に油を注してから数日が経った。
小説スペースで珍しく彼が本を読まずに座っていた。しかも、樋山を真っ直ぐに見つめている。
いつもなら気づかれず隣に座るが今日はどうしたものかと考え、結局定位置に落ち着く。
こちらを見ているのに離れて座るのもおかしいだろう。
隣に座ってもなお、彼がじっと見つめているのであれほど彼からの視線を望んでいたものの居心地が悪い。
なぜ彼は本を読んでいないのか。
いつもの幼稚な告白がばれたのだろうか。
何を言おうか迷っているうちに樋山の口をついたのは当たり障りのない言葉だった。
「……珍しいね」
「ありがとう」
会話が噛みあわない。戸惑っていると彼が更に口を開く。
「油を注してくれたのはお前だろう」
「よくわかったね」
「昨日気づいた。いつもより開けやすかった。ありがとう」
「他の人かもよ」
多少意地悪な気持ちで告げても彼は動じなかった。むしろ呆れたような目をしていて、普段無表情な彼でもこんな表情をするのかと見惚れた。
「いや、お前だ」
「根拠は?」
きっぱりと言い切る彼に悟られないよう表情を押しこめる。でないと顔がにやけてとんでもないことになりそうだからだ。