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首にヒヤリと冷気が走る。
刃物が動く気配と同時に、ピッと皮が切れた感触がした。――防げなかった。
「なんで見抜けないかなぁ。こんなにわかりやすい殺意を振り撒いてるのに」
主語はないが、見抜かれたことを悟る。
なぜ反対勢力であろう人間が自警団に、あまつさえ自警団長にまで上り詰めたのか、部下の失態を嘆いているに違いない。
千秋は動けない。
「決めた。きみ、私の護衛ね。自警団長は引き続き、あの男。いいよね」
いいよねもなにも、千秋に拒否権はない。
人肌で温くなった刃物が離れていく。渚の手に握られていたのは短剣だった。
「帰っていいよ。明日からよろしく」
「はい。失礼します」
震えないように声を抑えることが精一杯だった。
退室した後はやることもない。
窓の外では、古巣の自警団が演習していた。
……古巣。
既に自身の意識が切り替わっていることにぞっとし、千秋は頭を抱える。
表面上は異例の昇格。
革命を起こしたい千秋にとっても好都合。だからこそ、裏があると勘繰るのは当然だ。
こうして千秋は、憎んでいる男の護衛係になった。
* * *
「というわけで、離婚してほしいのですが」
成り行きを聞いた妻は呆れ顔だ。
なれない丁寧語で離婚を切り出すと、憐憫が加わった。……負けるものか。
「あのね、それくらいで離婚しないから」
「でも、うまくいきすぎる。危険だ」
それくらいと片付けられ、カチンときたら言葉が戻ってしまった。
妻の瞳は鋭く細められ千秋を牽制していたが、至近距離の唇はもう、笑っている。
「今更じゃない。だってそれ、自警団にすんなり入れたときに、疑うべきでしょ」
「それはそうだが……」
妻はとっくに腹を括っていたらしい。それでも未練がましく千秋は抵抗する。
「同志たちも、敵に回すかもしれない」
「多少の犠牲は仕方がないでしょう。時機が来るまでの我慢よ」
千秋は続ける言葉が見つからなかった。
そんな千秋の様子を見て、妻は溜め息を吐く。
「わかったわかった。同志たちの説得には私が行く。きっと、一気に動くよ」
「そうか」
「近づいたんだよ、私たちの未来に」
「……ああ」
ありがとうと言おうとして、やめた。
まだ早い。いや、そうじゃない。
なぜか、喜べないのだ。
* * *
護衛初日。
午前は執務室で背後を護るだけで恙無く終わった。
問題は昼食だ。
「散歩してくる。きみはついてこなくていいよ」
千秋を振り返ることなく領主は出て行った。
ついてこなくていいと言われても、それは職務規定に反する。
それに、こなくていいとは言われたが、来るなとは言われていない。
逡巡し、こっそりついていくことにした。
領主は城の裏の森へ向かっているようだった。雑草によって足音が消せたのでそれほど気を遣わなくていいと思ったのも束の間。
眼前に海が広がった。