家族になるまで | ナノ

03.2週目

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「真司さん」
 寝室に戻ると彼女が控え目に呼んでくる。
「なに」
「手を,握ってもいい?」
 差し出すと,そっと握られる。
 今にも泣きだしそうな気配に真司が些か怯んでいると,気づいたらしい彼女が小さく笑う。
 握り返すと,彼女は戸惑ったように微笑む・
 暁が正論を言えるのは、本気で恋したことがないからだ。
 暁が真司を許すのは、自分で自分を騙せなかったからだ。
「あのさあ、すみれさん」
「なあに」
「焦るの、やめないか」
「浮気しない?」
 やつれた彼女が視線だけを真司に寄越す。
 彼女の「経験がない」意味について考えた。
 もし真司が考える意味ならば、会話の噛み合わなさも納得がいく。
「あのさあ、すみれさん」
 ここまで突っ込んでいいものかどうかわからないが、それこそ勢いだ。
「恋愛したことないのか」
 彼女があからさまに目をそらした。
「つい誰かを目で追ったり、ふと思い出したり、そんな瞬間もないのか」
「過去を詮索するの?」
「悪かった」
 棘を含んだ声を彼女から向けられるのは初めてで、真司は素直に謝る。
 そしてもう一つ。
「すみれさんだけに努力させて、悪かった」
 彼女が両腕で顔を隠した。
「うん」
 声を押し殺して、すみれが泣いていた。
 結婚式のときですら、泣かなかったすみれが。
 もっと話すことがあったと思う。
 時間はあったのだから。
 経験と言ったから性交渉のことだと早とちりしたのは真司。
 すみれは落胆したに違いない。
 そして、本当は何が怖いのかを言えないまま、ただキスを拒んだ。
 この一週間、どこかよそよそしかったすみれ。
 いや、思い返せば、最初から。
「悪かった。まだ、やり直せるか」
 真司の記憶が、すみれに抱く想いはあのときの恋と違うと嘆く。


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