Before Christ | ナノ

In front of you.

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 早く開放してほしい一心で答えた志岐へ満足げに頷いた秀は、さっさと舞台へと引き返した。礼も言わない、まったく勝手な男だ。
 掴まれているときは感じなかったが、肩が熱い。
 そしてまた、胃の溶ける感覚がした。
「……っ、くそっ」
 両親や教師には絶対に聞かせない悪態を吐き、志岐は汚いものを払うように肩を叩く。嘔吐感に、目が潤んできた。
 秀に関わりのないことであったら、いくらでも感情を流すことができる、なんて、全く言い訳にならない。
 志岐が声楽家として生きていく以上、どんなことがあっても、感情をコントロールしなくてはならない。
 舞台は待ってくれないからだ。
 音楽家として、志岐は秀や紅葉に敵わない。
 ふたりとも、演奏前の感情を綺麗に捨てて臨んでいた。

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