愛の形
ふたりの母校である夏扇(かせん)学園で数学教師として働く秀を、紅葉が訪ねてきたと、秀はそう思っていたのだが、どうやら違うらしい。
「秀」
紅葉の声が震えている。
「秀、ねえ、秀ちゃん。志岐ちゃんは? なんで志岐ちゃんはここにいないの」
「紅葉」
秀が窘めるように呼ぶと、紅葉はキッと秀を睨んだ。
「紅葉、用事がないなら帰ってくれ。一応ここは、俺の職場だ」
「すみれちゃんの17回忌で帰ってきた」
脈絡なく、紅葉が呟く。秀にとっては随分と懐かしい名だ。
幼馴染の、笹原紅葉の妹。
教え子の妻。
「もう、そんなになるか」
「ねえ、秀ちゃん。俺がこっちに帰ってきても、すみれちゃんも志岐ちゃんもいない」
「俺がいるだろう」
紅葉は秀を馬鹿にしたように笑った。
「信じられないよ。きみがそんなことを言うようになったなんてね」
「俺もびっくりだ」
「志岐ちゃんを捨てた気分はどう? 最高?」
挑発的な紅葉の声に、一瞬カッとなりそうになったが秀は踏みとどまった。
「ああ、最高だ」
「秀ちゃんはそれでよかったんだ」
「当たり前だろう」
「常葉(ときわ)が」
紅葉の口にした名に、秀は息を忘れる。
今度は、秀が紅葉を睨む番だった。
紅葉は再び、馬鹿にしたように笑う。
「常葉が、泣いてる」
ただ一言、そう吐き捨てて、紅葉は職員室を後にした。
秀は後を追わなかった。
長年続いた幼馴染としての縁も、もはやこれまで。
未練たらたらだ。
いつ思い出してもこそばゆい、狂おしい記憶は秀を現実に縛る。
(俺は志岐を捨てたのか)