知ってたよ、全部
必死にこちらへ呼びかける妹の名を呼んでやれないことがもどかしい。
「これを!」
力一杯、投げられたそれを受け取った左手がわずかに切れた気がした。
短剣だ。
無理だ、流。
俺は人魚に戻る薬をなくしてしまった。
「にいさま、よく聞いてくださいませ! その短剣には魔法使いがにいさまの力を少しばかり練り込んでいます! その短剣がにいさまの心を染めた者の血を吸い、にいさまの脚にその血を垂らせば、にいさまは人魚に戻れるのです!」
心を染めた者。
樹。
別に憎悪であっても心を染めることに変わりはないというのに、ショクの脳裏では恋情と言い換えられる。
あいつのことなんか。
別に好きじゃないけれど。
記憶のない間、あいつと過ごした時間が思い出となれば。
この人間を憎む心に終止符が打てるかもしれない。
妹の恋を諦めさせる、当初の目的を果たすこともできる。
そこまで考えたショクは小さく笑った。
海に帰ろうなんて甘い考えを持ったまま、あの薬を呷ったわけではない。
なのに今、自分は海へ帰る正当な言い訳を模索している。
戻ったって、海の掟を破った恥さらしの自分の居場所などないというのに。
下手したら、身内にも容赦のない父王は、ショクを処刑台に載せるかもしれないというのに。
「にいさま。お待ち申しあげております」
でも。
「迷わないでくださいませ」
帰りたい。
妹と、幼馴染のいる海へ。
短剣を右手に持ち替え、妹に振って見せる。
妹は一度頷き、名残惜しそうに手を振って海の底へ帰っていった。
ショクは短剣をポケットに入れた。
「カイさん、こちらでしたか」
振り返らなくても誰かはわかる。
「まさか自害しようなんて思ってないですよね?」