四季の都 | ナノ

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「そのまま落ちてみる?」
 囁きに体が強張る。よく見れば、足元は崖だった。
 姿を見失ったのは一瞬だったというのに。
「突き落としてあげるよ」
 千秋の背後を取った領主はクッと喉の奥で笑う。
 なぜ二度も不意を衝かれたのかと自身の情けなさに溜め息が出そうになり、堪える。
 直接首に短剣を当てられていた昨日より、僅かに離された今日の方が危険だった。
 迂闊に返事ができない千秋は、隙を窺うことをやめた。
「先任の方は皆、亡くなられているのですね」
 領主は愉しげに声を上げて笑った。
「気づいたんだ? そうだよ。私より弱い人間はいらないからね。私自ら、引導を渡すんだ。いい領主だろう?」
 昨日、千秋は帰宅前に図書館へ足を運んだ。
 前任者からの引継ぎがまったくないことが不思議だったのだ。
 果たして、前任者は既にこの世になかった。
 歴代の護衛の名を連ねた表を千秋は呆然と眺めた。ひとつひとつの名が、インクで真っ黒に塗りつぶされていた。
 除名扱いになった者を調べるのは簡単だ。いつ、どこ所属の者を、こんな理由で除名しました。
 それらを記した表もまた存在するのだ。
 視界の隅で、刃物が下ろされる。緊張が抜け、膝を突きそうになるがこれ以上の失態は犯せないと、千秋は顔を上げた。
 領主は先ほどまでの愉しそうな雰囲気を消し、困った表情をしていた。
「きみ、どこの出身?」
「冬の都です」
「それはそうだろうね。まあ、いいや」
 領主は曖昧に笑う。
「次からは隠れてないで、出ておいで」
「はい」
 領主は声なく頷き、短剣を投げた。――千秋の心臓をめがけて。
「――ッ」
 剣を抜き弾き返すと、領主は満足げに笑う。
「それはきみが持ってて」
 そのまま千秋に背を向け、領主は来た道を戻り始めた。
「私が今、あなたを殺すかもしれませんよ」
 その後姿に静かに言うと、「別にいいよ」と呑気な声で返ってきた。
「とりあえず昼休みはもう終わり。帰るよ」
 領主の姿が見えなくなる。
 千秋は躊躇った後、領主の短剣を拾った。
 その柄に彫られた名は、真砂。
 領主の護衛であり、末弟であり、最初に除名された者である。


おわり
2014.03.01.

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