妹は陸に憧れていた
「お前、船を沈めてこい」
「――は?」
間抜けな返事をしたショクへ父王は苛立ちを隠そうともせずに言葉を重ねる。
「将来、海を治める者となるのだ。これ以上は言わせるな」
衛兵ではなく、わざわざショクに汚れ仕事をさせることの意味がわからないショクではない。
やっと一人前と認められようとしていることへの興奮で頬が紅潮していく。
「必ずや、やり遂げます。父上」
妹に見つかる前に。
彼女の憧れている人間たちの船を沈め、その上、死人まで出したと知れたら、どれほど恨まれることか。
満足そうに頷く父へ背を向け、ショクは準備をするために自室へと向かった。
人魚が治める海の掟のひとつ。
15の誕生日までは上の世界を見てはいけないというもの。
妹がその日をずっと楽しみにしていたことをショクは知っている。
地上への憧れは次第に人間への憧れへと形を変えた。
掟破りと知りながらも、人間たちの落し物をこっそり拾って集めていることも知っている。
「ねえ、にいさま。もうどきどきして、つらいの」
「落ちつけ、流(ながる)」
朝日の差し込む部屋で、妹は嬉しそうにくるりと宙返りをした。
「もう、いい?」
「だめだ。まだ日が高い。お前はかわいい。人間に見つかって、捕らえられたらどうする」
「大丈夫よ、逃げ切るから。ねえにいさま、お願い……」
甘えた顔をしているが、彼女はそのときまでじっと耐えるだろう。
わかっているからこそ、そのいじらしさに心が揺れる。
うっかり許可を出しそうになると、流はくすくすと笑って美しい尾びれをひと振りした。
「冗談です。今まで我慢してきたんですもの。あと数時間だなんて、あっという間。にいさま、わたしを甘やかしてはだめなんだからね!」
興奮を宥めるように大きな泡をひとつ吐き、ショクの脇をすり抜けて、流は外へ飛び出した。
その尾びれの先を見送り、ショクはくすりと笑う。
自分の成人の日は、生憎の雨だった。
初めて見た、地上と我らが海。
陸と接している、なんだかざらざらしたところは砂という。
掬うと崩れていって、面白くて、でも妹に見せられないのが寂しくてすぐに離れた。