本編
彼に礼を言われてから数日後。あれ以来彼は本を読まずに待っていてくれるときがある。
そのときはたいてい何を話すわけでもないが、彼はじっと樋山を見つめ、そして隣に腰かけたところで読書を開始するのだが今日は違った。
「緒方」
彼はじっと樋山を見つめたままで手元の本を開こうとしない。
居たたまれなくなって名前を呼ぶと予想外の返事がきた。
「なあ、お前の名前って何」
「……え」
彼の連れ戻し係になってから数カ月、同じクラスになって半年以上が経った今それですか。
なんだか泣きたくなったが外部生ならそんなものかと割り切り深呼吸をした。
「樋山だよ。……同じクラスって知ってるよね?」
返事がない。
彼を見れば気まずげに目を逸らされた。やっぱり泣いてしまおうか。
「樋山」
そう思ったとき名前を呼ばれ感動してしまった。
「もう、憶えた」
にっこり笑って、もう一度樋山と呟くと彼は何事もなかったかのように読書を始めた。
「あー……」
なんだろう。
すごく嬉しくて、叫びたいような、校内を駆けまわりたいような。
「緒方、好きだよ」
どうせ聞こえないと思って彼に囁く。
「俺もだ」
心臓が跳ねた。
彼が樋山を見つめ返していた。
――聞かれていた。
なのに彼はにっこり笑うとやっぱり読書を続けてしまって。
まったく、この想いをどうすればいい。いや、その前に。
予鈴が鳴ったらどんな顔して連れだせばいいんだ。
おわり。