図書室の主 | ナノ

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「お父さんと何かあった?」
「……え?」
 まさか聞かれてしまったか。
 内心冷や汗を掻く恭介には気づかず葵はすみれそっくりの瞳を伏せた。
「お父さん、泣いてた」
 泣いてた。
 彼が。すみれの葬式でさえ硬い表情で歯を食いしばっていた彼が。
「恭介、いいんだよ。我慢しなくても」
 脳裏に閃くのは、過去に彼と同棲していたとき、突如告げられた別れ。
 あのとき、泣いて縋れば今とは違った未来があったのだろうか。
 愛するからこそ望んだ別れはとても自己満足で、そして最悪の結果をもたらした。
 ――いや、最悪なんかじゃない。
 すみれと結婚して、彼はいい方向へ変わった。最愛の従妹と“親友”の子を見ることもできた。
 恭介にとってこれ以上の幸せなんてない。
 彼らにとっての幸せは、恭介が去れば飛び込んでくる。
「恭介?」
「葵くん。――愛しています」
 額をこつんとくっつけ、すみれとよくしたように頬に口づける。
「ずっと、ずっと。あなたたちが大きくなっても、ずっと愛しています」
「きょ、恭介?」
 葵が驚いたように目を見開き恭介から離れる。
「俺の気持ち、わかってくれたの……?」
「真司のところへは私が行きます」
 考え事をしていて葵の言葉を聞き逃してしまったが、今はそれどころではない。後でじっくりと聞こう。
「ッ! 駄目、恭介、駄目だよ行っちゃ駄目!」
「葵くん。早くお風呂に入ってきてください。私は」
 最後まで言うのも待っていられなくて、恭介は2階へ駆けあがった。これがいい選択とは思わない。手を離すと決めたのだ。中途半端なことはすべきでないとわかっていても、今、逃げたらもっと後悔するとわかっているから。
 恭介は知らない。
「そうやって俺の気持ち、なかったことにするの」
 ひとり取り残された葵が涙を堪えていたことに。



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