図書室の主 | ナノ

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 楕円に矢印を書きこみながら、女医が淡々と説明していく。
「以上ですが、何かご質問は?」
 彼とそっと視線を交わす。彼は軽く首を横に振った。
「いいえ。ありがとうございました」
 彼が言ったので恭介も頭を下げる。扉に手を掛けた彼の後について出ていこうとしたそのとき。
「ココ」
 女医に呼びかけられ、恭介の足が止まった。
 ホストとして恭介が働いていたときの源氏名。
 振り返ることのできない恭介の代わりに彼が振り向き、恭介と目が合う。険しい瞳だった。
 よろめきそうになる体を彼が支えてくれた。
「恭介。あなたも、お大事に」
 くすりと悪戯っぽく笑う柔らかい声から逃げるように、恭介は診察室を出た。
 取り急ぎ、彼に異常がないことをおばさまに連絡すると夕食まで食べさせてもらえることになった。
 3姉弟は既に帰ってきたらしい。
 通話を終えた車内は静かで、彼とは診察室以来何も話していない。
 助手席に座った彼はぼんやりと窓の外を眺めている。
 女医の横顔を脳裏に思い浮かべ、恭介はステアリングを力任せに叩きつけたい衝動に駆られた。言われてみれば面影がある。20年近くも会ってなかったのだ。気がつかなくても無理はない。
 無意識に、忘却していたのだと思う。
 最初に俺を抱いた男の妹。
「恭介」
「ん?」
 彼は何も言わなかった。ひどく疲れた顔をしていた。
 もしあのまま彼の記憶が戻らなかったら、恭介は訊きたいことがあった。
「ねえ、真司」
 ねえ、緒方。
「歳を取るっていいね」
 ずっときみといられると昔の俺が知ったらどう思うのかな。
 彼は真意を測るように恭介の横顔をじっと見つめた。
「すみれちゃんを知らないきみは幼くて無垢だけど物足りないよ」
 たとえきみが俺を通して彼女を見たところで、俺は怒ったりなんかしない。



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