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『“菫”の子は“茜”と“葵”なんだって』
 くすくすと笑いながらすみれは言った。
 薫の由来は、知らない。
 聞く前に彼女は消えてしまった。彼に訊ける雰囲気でもなかった。
 ねえ、記憶をなくせるというのなら、俺の記憶も持っていって。
 一番幸せだった頃に連れていって。
 彼と別れたばかりだったあのとき。
 初めて葵くんをこの腕に抱いたあのときに。

*****

 レントゲンとMRIを撮り終わり、診察を待っているときに彼は記憶を取り戻した。
「俺が記憶をなくした? 何を言っている」
「……あのね、緒方。きみ、朝から自分の行動を思い出せるかい?」
 ついうっかり緒方と呼んでしまい、彼が苛立たしげに恭介を睨むが確認は必要だ。
「憶えてない……」
「昨日、記憶を失くしたことは?」
「なんだそれ」
「……遠い夢を見ていたような記憶は?」
「夢?」
「自分の子どもの名前、言える?」
「馬鹿にしてんのか」
 人がまばらな待合室で、彼は頭を抱えていた。
『緒方さーん。2番に入ってくださーい』
 アナウンスが入り、彼と共に入る。昨日とは違う医師だった。
「はい、脳に異常はないみたいだけど、何か思い出したことは?」
「……それが、記憶がないってこと以外今思い出したみたいなんです」
 女医は恭介をじいっと見つめた。
「そう。緒方さん自身はどうですか。なんか違和感というか」
「いえ、特には」
 首を振る彼に頷き、女医はメモパッドを取り出し図を描いた。
「何か、あったんでしょうね。精神的にショックなことが。脳がシャットダウンした状態。記憶がない間の記憶は恐らく戻りません。今、復旧してきたって感じです。生活に支障はないはず」



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