図書室の主 | ナノ

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「俺、恭介が好きだからッ! 本当は、本当に、好きだから! だから、その、笑わなくていいッ! いってきますッ!」
 ばたんッ! と大きな音を立てて扉が閉まる。
「……てにをはが滅茶苦茶ですよ、葵くん」
 嬉しいのか哀しいのかいまいち自分でもわからない感情が渦巻き、さてリビングに戻ろうと振り返ると難しい顔で腕組みした彼がいた。
「あれ、本当に俺の子か?」
「間違いなくきみの子だよ、緒方」
「似てない」
「だから、俺もすみれちゃんもそっくりだったの。――何度も言わせないで」
 言った後ではっとした。この彼は、何も知らないのに。
 彼は無表情だが僅かに傷ついたような素振りを見せた。
「あ……ごめん」
「すみれさんというのか。その、俺の……」
 妻は、と言う彼は照れよりも恐怖が勝っているようだった。いったい何をそんなに怯えているのだろうと思いつつ、恭介は肯定をする。
「そうだよ」
「どうしよう」
「……え?」
 なんだか久し振りに彼の弱音を聞いた気がする。ぽかんとする恭介を無視して彼は額に手を当てたままぶつぶつと呟き続ける。
「俺は……知らない。憶えていない。それってすごく失礼なんじゃないか……」
「あの、あのね、緒方」
「ていうか、見知らぬ他人と暮らすのか。樋山がここにいるだけでも嫌なのに」
「……あのねえ!?」
 失礼な発言に切れてはいけない、相手は子ども、よし、深呼吸。
「緒方。きみの心配は無用だよ。すみれちゃんはここにいる」
 とん、と彼の胸を押し、真っ直ぐに彼の明るい茶色を射抜くと彼は初めて動揺したようだった。
「きみが彼女のことを忘れたとしても、すみれちゃんは憶えているよきっと。俺も憶えてる。きみとすみれちゃんが暮らしていたときのこと。葵くんたちが生まれたときのこと。――大丈夫」
「……忘れるほど悲惨だったってオチじゃないだろうな」
「全然。少なくとも、すみれちゃんといたときのきみはとても幸せそうだったよ」



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