図書室の主 | ナノ

Last concert

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 2階に上がり自室に入ろうとして、恭介は取っ手に手を掛けたまま入口に立ち竦んだ。
 ――ベッド脇に、すみれのヴィオラが立てかけてあった。
 恭介は朝食の支度をしてから緒方家の誰かが帰ってくるまで滅多に自室へは入らない。
 きっと、葵の仕業に違いない。人の部屋に勝手に入ってはいけませんと言ったでしょう、と内心でぼやきつつ、そっとそれを手に取る。
 すみれの形見であるヴィオラを葵に与えると決めたのは恭介だった。
 飴色に輝くそれをじっくりと眺め、恭介は判断が間違っていなかったことにほっとする。幼い子に最初からヴィオラを勧めるのは実は少し怖かった。
 使いこまれた楽器は例外なく美しい。このヴィオラがどれほど使われていたものか知らない人も魅了するだろう。
 弦を触ると、そろそろ張り替えの時期だと気づきげんなりする。まさか自分が疎くなるなんて。
 葵がこれをここに置いた意図は想像することしかできないけれど。
 上半身の服だけを着替え、恭介はヴィオラに歩み寄る。
「すみれちゃん」
 ネックを掴み、ボディにそっと口づける。
「行ってきます」
 再びベッド脇に立てかけたヴィオラが微笑んだ気がした。
 1階に戻ると名賀の姿はなく、玄関から外を覗くと名賀の車が門の前に止まっていた。
 外に出て鍵を掛ける。近寄ると後部座席に人の気配がした。と思ったら人が飛び出してきた。
「おじさま!」
「朝陽ちゃん!」
 扉を開けっ放しにして恭介の胸に飛び込んできたのは名賀の娘の朝陽だった。
 久し振りに会う朝陽は大学受験を終えたばかりだからか多少、疲労が滲んでいたが、元気そうだった。
「茜ちゃんから聞いたよ。おめでとう」
「ありがとう、おじさま。ねえ、せっかく葵くんたちがいないんだし、一緒にご飯食べたいの。いいでしょう?」
「もちろんだよ、朝陽ちゃん」
「えーっと。樋山、助手席に……」
「おじさまは私の隣! お父さん、気が利かない!」
 降りてきた名賀は朝陽が開け放していた扉を閉め恭介に言うが、朝陽が拒む。名賀は溺愛する娘に「気が利かない」と言われたことがショックだったらしく、恭介を睨みつけた。
「じゃあ、朝陽ちゃんのお隣にお邪魔しようかな」



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