Last concert
先日食べ損ねたチーズケーキを彼に強請ることもできずに、恭介は自分で作っていた。
キッチンに立ち、時折、すみれの写真に目を遣り微笑む。
「ねえ、明日だよ」
『わかってるって』
彼女がそう言って苦笑する様が脳裏に浮かび、恭介は笑おうとして思わず涙が零れそうになったので瞳を閉じた。最近、どうも涙もろくていけない。
明日は茜の、そして明後日は葵の卒業式だ。式には彼と両家の祖父母が参列する。
昨夜、彼のスーツにアイロンを掛けると彼が何か言いたそうに恭介を見たけれど、恭介は気づかないふりをした。
ここですみれとふたり、のんびりとみんなの帰りを待とう。
いや、違う。
すみれを想う人たちの心の中に彼女はいるのだ。
式にもいるだろうし、この家で留守番をする恭介の隣にもいてくれるだろう。
「すみれちゃん、ごめん……」
開け放した窓から爽やかな風が舞いこむ。
春が来て、茜と葵は小学校を卒業する。同じ敷地内の中高一貫に進学するとわかってはいても感慨深い。
実の親でない恭介でさえそうなのだから、すみれはどれほど嬉しかっただろう。
『恭ちゃん。泣いていいんだよ』
「……すみれちゃん」
幻想だとわかっているのに、体が包み込まれた気がした。
「ごめん、すみれちゃん、ごめん……」
いったい自分は何に対して謝っているのだろう。
彼女を裏切ったこと?
これから彼を裏切ること?
「きみたち夫婦に迷惑かけてばっかりだよ、俺は」
『ふふふ』
「もう、否定してよー」
つまらないひとりごとだとわかっていても、どうしても彼女がそこにいる気がして。
春は好きではない。彼女がこの世を去った春と夏の境目を強く意識してしまうから。
『恭ちゃん。大好きだよ、恭ちゃん』
そう思いたい、恭介の傲慢。
「きみの声で、聞きたいよ」
呟きは涙に震えていた。