本編
「岸本」
そんなときに秋一が呼びかけたものだから少し焦る。
「元気そうだな」
その声が微かに笑みを含んでいて思わず秋一の顔を凝視するも彼はいつも通りの不機嫌そうな顔で聞き間違いだったかと首を傾げたが。
「お前が一人暮らしを始めた頃はどうなることかと思ったが……。急にお前の手料理が食べたくなってな、すまない」
「俺の手料理って……。まずいかもしれないじゃん」
「岸本は器用だからな。それに、現に急に言ったものも作ってくれたし味は……悪くない」
今度こそ、本当に彼は笑っていた。
「ごちそうさま。おいしかった」
天変地異の前触れだろうか。
早鐘を打ち始めた心臓を無視してそんなことを考えていたら、秋一は食器を手早く洗ってしまった。
「悪いが、やっぱり帰るよ」
「あ、そうか……。残念だ」
「思ってもないことを言うな」
「思ってるよ。親友だから」
秋一の目がついと細められる。彼が交友関係の呼称で友人に類する言葉を厭うのを知っていて使ってしまうのは離れた時間が長かったからだろうか。
「知人、だな」
おもしろくなさそうに返ってきた言葉が懐かしい。あのときのようなからかう声になってもたぶん大丈夫。
「知人に食事を提供してもらうのか?」
「……ああ」
じゃあ、と短い別れの言葉を残して、秋一は去った。
久々に友人にあった興奮で寝つけなかった岸本が、あの翌日秋一が消息を絶ったと知ったのはそれから一月後のことだった。
おわり。