本編
月日は流れる。
卒業式の興奮冷めやらぬ教室からそっと抜け出し、久しく足が遠のいていた場所へと向かう。
中3、高1はせっかく同じクラスになれたのに、高2から文理分けでクラスが離れてしまった。高3になってから受験勉強に専念するようになり図書室へ行く時間が減った。一緒にいる時間も減るかと思いきやふたりで空き教室や進路指導室で勉強していたから会う時間そのものはあまり変わらなかったけれども、やはり最後は多くの時を過ごしたあの場所にいたいと思った。きっと彼もそこにいるはずだと確信をもって、図書室の扉を開く。
小説スペースの入り口には彼の上靴があって、奥へ目をやれば彼はこちらに背を向けて窓からくすんだ空を見上げていた。
樋山は15年、緒方は6年通ったこの学園からふたりは今日、旅立つ。実感は湧かないけれど、彼の後ろ姿を見ていると様々な思いが去来して胸がいっぱいになった。
「緒方」
「ああ」
こちらを振り返った彼の瞳は少し赤くなっていてああ、こいつでも感傷的になるのか、なんてちょっと失礼なことを思いながら彼の傍へ行く。
「緒方、俺と写真撮ろうよ」
「あ、俺も撮る」
樋山がカメラを出すと緒方も頷き彼自身のカメラを出した。
「じゃ、まずは緒方のカメラな」
棚の本を退けて、カメラのタイマーをセット。フラッシュが瞬く。そのあと、樋山のカメラでもう一回。
「ありがと」
「こちらこそ」
彼は撮った写真をじっと見つめていた。そしておもむろに制服のブレザーを脱ぐと樋山の頭に被せる。一気に視界が紺色になったのと彼の匂いに包まれたのとで軽くパニックを起こすと、取るなよと言われた。
「どうしたの?」
「黙ってそこで待ってろ」
「はーい」
彼の気配が遠ざかって不安になる。取ろうと思えば取れるが彼を待つことにした。ふと図書室のこの場所を想う。自分と緒方のいなくなったこの場所は誰に引き継がれていくのだろうかと。想って、笑った。誰かを包み込む、優しい、温かい場所でありますように。
彼の気配が戻ってくる。いつになく緊張した声で彼は言った。
「いいぞ、取れ」
明るくなった視界。
片膝をついた彼がこちらへミニブーケを差し出していた。
「いつになってもいい。待ってる。だから、樋山が覚悟を決めたそのときから、俺と一緒にいてくれないか」
真剣な瞳がきっとこちらを見ているのだろう。
だけど、樋山にはわからなかった。
涙が零れて、顔を覆ってしまったから。
声が出なかった。
ふわりと彼に包み込まれる。とうとう彼の身長を超すことはできなかった。
優しく擦られる背中に感情がすべて溶けだしてしまいそうで首に腕を回しやっとの思いで答えを囁いた。
「ありがとう」
その声はどちらのものだったか。
「ありがとう、ありがとう……」
ずっと互いに囁き続けた。
図書室の主と図書室で交わした約束。自分たちがここを去っても、この場所は残る。いつか、来たそのときにはもう。
「緒方、ねえ、緒方、好き」
「俺も」
「ちゃんと言ってよ、最後じゃないか」
「俺、緒方真司は樋山恭介を一生愛し続けます」
そんな真顔で、一生なんて言わないで。いつまで続くか、なんてわからないのにね。
これから楽しいことばかりじゃない。それでも、この場所で刻んだ時間を忘れることはない。
「緒方、待ってて。早く、一緒に暮らせるように頑張るから」
「少なくとも四、五年……」
ぎゅうっと熱を惜しむように抱きしめられてくらくらした。負けじと抱き返すと彼が笑ったのがわかった。
「樋山、手首を出せ」
言われるままにおとなしく差しだすと紐のようなものを巻かれた。
「指輪はまだ買えないからな。小遣いの範囲でできるものを考えたんだ」
「プロミスリング……」
その糸が切れると願いが叶うという。
名前が編んであって、器用な彼らしいと嬉しくなった。
「俺が旦那さまのつもりだったんだけどなあ」
「ずっと旦那だろ」
「わー、そういうこと言っちゃうの。緒方、好き」
待ってて。
いつか必ず、迎えに行く。
そしたら、ふたりでここに来よう。
そして今度は、俺がプロポーズするよ。
かつてここにいた、図書室の主に。
大量の本が、俺らの愛の証人だ。
おわり。
→あとがき