図書室の主 | ナノ

図書委員の日常

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「探してくれなんて言ってない」

「恭介。緒方のこと、好きでもいいから自分の身を守ることを考えて」


 意味がわからない。わかりたくない。縋るように他のふたりを見れば黙って頷かれた。

 太陽の匂いを含んだ風が頬を撫でていく。

 自分が涙を零していることにも気づかないまま、樋山は空を見上げた。

***

 幼小中高併設する男子校、夏扇学園。

 幼稚園から通っていた樋山、亮介、寛樹、そして小学校から通っていた瑞樹にとっては当たり前のこと。そして中学から入学してきた緒方にとってはきっと当たり前ではないこと。

 ホモだと疑われていじめに遭うのは、残念だけどどこにでもあることだと思う。ただ、夏扇が異様なほど自浄作用が働くのは、外の世界を知らない内部生にも薄々と分かっている。

 ――『恭介、気をつけろよ。噂になってる』

 中1の秋、亮介を通して伝えられた幼馴染たちの忠告。
 
 樋山が緒方に惚れているという噂。結局途中で消えたらしいが、さて誰が言いだしたものか。

 表面上は誰とでもうまくやってきたつもりだった。けれど、幼い頃から一緒にいるが故のしがらみ、そしてなんでもそつなくこなしてみせる樋山への嫉妬が噂に繋がった。

 まったく迂闊だったと思う。それまで休み時間は外でドッジボールやサッカーに勤しんでいた人間がいきなり図書室に、しかも同性とふたりきりで籠り始めたら樋山だって疑うと思う。悪意があるかどうかは別としても。

 自浄作用はもうひとつの意味がある。

 ずっと環境が変わらない内部生たちの鬱憤晴らし。最高の宴。

 教師たちの目を掻い潜りどこまでやるか。――どのようにすれば人が壊れていくのか見てみたいという残酷な好奇心。

 ここで、樋山も一緒になって緒方に危害を加えたならば、樋山の安全は守られる。代わりに彼へのいじめはエスカレートするだろう。

 一度火が付いたら燃え滓になるまで止まない。

 どうやったら止まる? 緒方を諦められばいいのか? ――諦められるのか?

 保健室で見た、打撲という字を思い出し樋山は叫びだしそうになる喉を押さえた。

 知っていながら何もしようとはせず目を逸らす。

 いったい何をすればいいかもわからず、ただひたすら頭を抱えて。

 もっと彼のことを見ておけばよかった。そしたら、気づいたはずだ。

 あの雨の日、本が濡れずにいたのは彼が本を庇ったから。

 傘が折れた? 折られた、が正解だろう。

 彼が無視したのはおそらく、樋山が首謀者だと思われているからだろう。

 本当の首謀者が誰かはわからないけれど、彼にとってダメージになると思った言葉を吐くだろうから。

 もし緒方が樋山に訊いたら、そして樋山が緒方の様子を感じ取っていたらこんなことにはならなかったはずなのに、その程度の、信頼。

 好きだよと囁き叫んだあの言葉は、彼に届いていなかったらしい。

 昼休み終了を告げる予鈴が遠く反響して聞こえる。


「知ってたんだな。いつからか、も含めて」


 幼馴染たちに当たっても仕方がない、この場合責任は自分にあるとわかっていても隠そうとしたからという理由で彼らを責めてしまう。

 自分自身に怒りが向いたらどうなるかわからないから、自分を守るために樋山は外へ怒りを吐きだす。

「緒方は君に会いたくないと言った。俺らは彼のクラスメイト。彼の意思を尊重したい」


 冷静に告げる亮介に掴みかかろうとして瑞樹に止められた。


「授業が始まる。戻るぞ」


 瑞樹の声で、示し合わせたように4人で駆けだす。

 三人の姿を見たくなかった樋山は必死で先頭を走った。

 これが現実。ドラマの世界だったらサボってでも彼の教室まで駆けていくのに。


 なんとかチャイムが鳴る前に2Aに飛び込み、ロッカーから教科書を出して授業準備。

 すべてがだるかった。

 午前中の授業のルーズリーフが机に載せられているのを見て瑞樹を盗み見たら呆れたように溜め息を吐かれて、腕時計を確認しようとすれば保健室に置きっぱなしなことを思い出してもう嫌になる。

 瑞樹の号令で授業が始まっても上の空。午後の記憶もあまりない。

 終礼が終わって向かう先は図書室。

 背後で瑞樹が何かを叫んでいる。鞄を掴んで夢中で階段を駆け下り、図書室へ飛び込んで中から鍵を掛ける。

 これでもう、誰も入れない。

 瑞樹も、緒方も。

 しんとした図書室。

 恐怖感はなかった。

 ただ彼の痕跡を感じたくて、いつもの場所へ行き、寝そべってみた。


「緒方」


 小さく彼を呼ぶ。

 俺は、どうすればいい?

 どうしたら信じてもらえる? 君のことが好きだと。

 どうしたらみんなで笑える?

 自分だけを安全圏に置いておきながら言っていい台詞じゃない。

 本を借りなくなったときから、彼は決めていたのかもしれない。

 もう樋山を見限ることを。

 図書室は彼ひとりの穏やかな場所であることを。

 ――じゃあ、どこで暴行を受けた。

 起き上がり、膝を抱えて小さくなって考えた。



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