図書委員の日常
最終下校時刻を告げる予鈴が鳴る。
本に印を押し交差点まで一緒に帰って、次に会えるのは翌日の昼。なんて時間の無駄なんだろう。
「ねえ、緒方」
彼から本を取り上げ、今日こそさりげなく言うんだ。少し怖くて、彼に背を向けた。さあ、言わなきゃ。
「メアド、教えてよ」
ああ、言えた。
ドキドキしながら返事を待っていると、手の甲を取られた。初めて彼から触れられたことで頭に血が昇ってしまう。ボールペンの辿る先がくすぐったい。
「俺にも」
差しだされた手に書きこむとき少し震えてしまった。
貸出手続きは昼に終わっているから、あとは靴を履き替えて一緒に帰るだけ。
いつもなら寂しい別れの時も、メールできると思うだけで笑顔で手を振ることができた。
反対側へのバスから手を振る彼が見えなくなって、そっと彼の触れた場所を撫でてみる。
この手を洗いたくないと思ってしまう自分に苦笑するが、恋する者なんてこんなものだろう?
文字を追う彼の姿を思い浮かべた。
ずっと図書室にいるのに健康的な頬、興奮したときに薄く開く唇、読後の満足げな溜め息。
緒方の一部を知っているという優越感が、少しだけ樋山を落ち着かせた。
彼が明日の昼までに読む本はあと4冊。
***
本当は、試験期間中だって図書室へ行きたい。
けれど中1の10月、彼がそれを禁止した。
思えば、好きの意味を訊こうとした日にそれを言われ、次にあったのは3週間後。タイミングを逸してしまったのだ。
「俺らはなんのために学校へ行っているんだ? しかも私立だぞ、義務教育なのに。親に申し訳が立たん」
きっぱりと言い切った彼は誰が見ても惚れ惚れするほど男前で、いくら彼の頼みといえど聞きたくなかったのにいつのまにか頷いていた。
あのときはなぜか廊下ですれ違うこともなくて緒方不足で参ってしまいそうだった。
でも今回はメアドがある。いつでもメールができる。
そう思って帰宅後すぐさまケータイを開くと彼から受信。胸が高鳴るのもどうしようもないと言えるだろう。すぐに開きたいのを我慢し彼のアドレスを登録、ついでに個人着信音とランプも設定。
そわそわしながら彼からのメールを開く。
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From:緒方
Subject:
テスト期間中はテストに集中すること。
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なんとも彼らしい文だが、そんなに信用されてないかとがっくりきた。
初メールがこれ。――これ!
確かに邪な気持ちを抱いてないと言ったら嘘になるけど、『今、なにしてる?』に憧れたことがないと言ったら嘘になるけど! もう樋山は涙目だ。
まあ恋人同士ではないし、と心の中で呟くが恋人になってもこんな感じがすると思わせる彼はすごい。
結局テスト期間中に交換したアドレスが役に立つことはなかった。
いや、少なくとも樋山の役には立った。試験勉強から逃げ出したくなったとき彼のアドレスを眺めてにやにやする。それだけだ。なんと不毛な使い方。
もうすぐ7月、梅雨も明けるし晴れやかな気分になるかと言えばそうでもない。すぐに1学期末の試験が迫っている。
中間試験最終日は3限で終わる。解放感と緒方に会える喜びで朝から樋山は上の空だった。
もちろん試験はばっちりだ。でないと彼に嫌われてしまうし、なにより来年同じクラスになるチャンスを自分から潰したくはない。
廊下のさざめきから2Cの終礼が終わったことがわかる。
「おーい、こっちも終礼やって帰ろう!」
教室のあちらこちらで談笑しているクラスメイト達に呼びかければ、みんなさっと席につく。
さあ級長早くしろと睨みつければ、級長の瑞樹は諦め顔で天を仰ぎ号令をかけた。
***
階段を駆け下り、滑らかに開く図書室の扉に手をやり飛び込む。
誰もいない。いや、誰もいないのはいつものことだけど彼がいない。こんなことは初めてで不安になってきた。
ひとりきりの図書室は不気味で、人の気配がしないのに見られているような気がして入口に引き返すと向こうから開いて樋山は悲鳴を上げた。
「うるさい」
そこにいたのは緒方で、気が抜けてへたり込むとぐしゃりと髪を掻き混ぜられた。
「どうした。怖かったか?」
笑みを堪えているような声にむっとして恨めしげに見上げれば彼は隠すことなく腹を抱えて本格的に笑いだしてしまった。
「ひどいよ緒方。俺本当に怖かったのに」
「いや、悪い悪い」
脇の下にまだ震えている彼の腕が入り、ふらつきながらもなんとか立たせてもらった。
「緒方、好き」
「そうか」
目を見ず言ったから彼の表情はわからないけど、嫌悪は感じない答えに安堵した。調子に乗ってるふりをして心の奥底で怯えながら彼に訊ねる。
「緒方は? 俺のこと好き?」
「好き」
あっさり答えてくれて、いろいろ考える自分がなんだか馬鹿らしく思えてくる。
「緒方、好きー!」