主不在
『何のために我慢したと思ってる』
いじめっこに掴みかかろうとした恭介の手首を簡単に押さえ、呆れたような声で表情は動かさず、彼は言った。
中学時代、いじめられていた真司は一切抵抗しなかった。
自分が喧嘩慣れしていて、応戦したら相手に怪我を負わせてしまう。
そうなったら、どんなに相手が悪くても怪我を負わせた方が責められるのが実情。
その気になったらいつでも潰せる、という事実が彼の心を支えていたのかもしれないと気づいたのは高校にあがってからだった。
悲鳴をあげる気力もなくなったらしい生徒を放置して立ち上がり、真司は言った。
「で、図書委員長。どうするんだ?」
生徒会長の顔で。
***
こめかみに柔らかい感触がした。
次いで唇、頬、唇――。
飛び起きたら、涼しい顔の真司がいて、都合のいい夢かと頬を抓ったら「あほか」と言われた。
他の生徒に見られたかもしれないと慌てて辺りを見回せば人っ子一人いない。
「最終下校時刻まであと二分」
にやにやと笑っている真司を置いて下足室へ行こうと入口の扉を乱暴に開けたら二足の革靴が目に飛び込んできた。
「ぐっすり寝てたから持ってきた」
「……ありがと」
気まずくて俯きながら言ったら、彼が低く笑った。
鞄を持ち、校門をくぐっても彼はついてくる。
「恭介」
呼ばれて立ち止まる。
彼のことがたまらなく好きだと実感するこの瞬間は、ただ苦しい。
「お前、俺に落ちろよ」
受験勉強のしすぎだろうか。
とうとう幻聴まで聞こえるようになってしまったかわいそうな耳を引っ張っていたら、もう一度彼が自信たっぷりにこちらを見ていってくる。
「俺に落ちろ。何のために我慢したと思ってる」
わけがわからない。
もともと恭介は真司が好きで、振られっぱなしだった。
自分で言ってて悲しいが事実だから仕方がない。
「俺は、卒業式に賭ける」
踵を返した彼の背を見送り、今日は九時就寝だと恭介は固く心に誓った。
おわり