図書委員の日常
「おはよう、緒方」
2Cの教室、彼の席へそっとくちづけを落とす。朝一番で登校し教卓の座席表で彼の席を確認し、迷わずその席に座りこんだ。
彼の登校をわくわくしながら待っていた。途中、樋山の友人たちももちろん登校してきた。
「あれ? 珍しいね」
「ん。友達待ってんの。緒方をね」
「へえ……」
他愛ない会話で表情を探ってみてもなんの動揺も見られない。
思いすごしかと樋山は少し自分を疑った。思いすごしであればいい。いじめなんてないにこしたことはないのだから。
教室の扉が開くたび、期待するが彼は現れない。亮介は一瞬呆れた顔をし、寛樹はあからさまに眉間に皺を寄せた。
「おはよう」
臆面もなく笑顔で言ったら無視された。
気にならないと言ったら嘘になる。けれど今の樋山にとっては緒方に会うことの方が大切で、ずっと教室の時計を眺めていた。
八時二十八分。
朝礼開始が三十分から。そろそろ教室に戻らないと校内にいても樋山は欠席扱いになってしまう。
昨日午前中の授業を殆ど休んでしまったから今日の遅刻扱いはまずい。
しぶしぶ2Aへ戻ろうとして、未練がましく彼の机と幼馴染たちを見遣る。
樋山の切ない想いを受け止めてくれたのは机だけだった。
教室へ戻ると何か言いたげな瑞樹が教卓からこちらを見下ろしていて、その瞳が泣きそうに歪められているのに気づかないふりをしてクラスメイトたちの輪の中に飛び込んだ。
「おっはよ恭介」
「どこ行ってたの?」
「んー? 2Cにいた。緒方探してたんだけど、いなくてさ」
「図書室じゃないのー?」
「朝は開いてないんだよ」
「はい、出欠とるよー! 席に着いてー!」
遮るように瑞樹の声が飛ぶ。そちらへ目をやっても視線が交わることはない、わかっていたけれど溜め息が出そうだ。
「青木!」
「はーい」
「赤坂!」
「はいはい」
慌ただしく席に着き、出席番号順に呼ばれる名前をぼんやり聞いていた。
「樋山! ――樋山! 恭介、聞いてる!?」
「っ、はい」
苛立たしげに呼ばれた名に、考えなくていいことを考えてしまった。
瑞樹が樋山のことを名字で呼ぶのは公のときだけ。樋山のことだけでなくみんなのことを平等に名字で呼ぶから、それが彼の人気に繋がっていることもわかるけれど心が弱りかけているときには少し堪える。
四十二人の名をすべて呼び終わった頃、担任がやってくる。
一限の数学の宿題をやっていないことを思い出して、この短時間でやりおおせない量ではなかったけれどなんだか馬鹿馬鹿しく感じられて意味もなくシャーペンの芯を叩いた。
休み時間のたびに2Cへ飛び出そうとしてクラスメイトたちに阻まれ、待ちに待った昼休みは背後に瑞樹の視線を感じて、ご飯も食べずに心の中で謝りながら図書室へと駆けた。
わかりたい。知りたい。解決方法なんてわからないから、ただ彼の傍に居たい。
小説スペースのカーペットで膝を抱えて、彼を待った。
いつも緒方は樋山より先にいる。どんな気持ちでここで本を読み、そして時々樋山を待っていてくれたのだろう。
昨日、彼は樋山のいない間にここに来たのか。そっと本の背表紙に触れ、静かに流れる時にまどろみそうにそうになったとき、耳が扉の外の騒ぎを捉えた。
――緒方と揉めてるのか、それともいじめっこたち?
入口へ向かおうとしたとき複数の声の中に幼馴染の声が含まれているのがわかって笑みが零れた。ここに留まって、待とう。自分が守られている前提でしか人を好きになれない自分が卑怯者だとわかってはいるけれど恐怖感は拭えない。
ギィと扉の開く音がする。正座をして、突破口になるであろう誰かを待った。
おわり