図書室の主 | ナノ

Platonic days

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 人生を遠回りさせてしまった、今でも大切な人。瑞樹が秋一へ背を向けた。もう別れているから、少なくとも瑞樹は浮気ではない。ここで秋一がむしゃくしゃするのは筋違いだ。しかし、理性と感情は別物。何とはなしに、バイト先へ足を向けた。
「ユズ。ココ、いる?」
「今、トイレ」
 煙草を吸うために裏口から出てきたユズに訊ねると、こちらを見てにっこり笑って答えてくれた。一瞬、瑞樹の笑顔が重なってこっそり唇の端を噛みしめる。
 きらびやかな店は裏口もきちんと整理されていて、それを見るとつい顔が綻ぶ。
 瑞樹の幼馴染であり、秋一の中高時代のクラスメイトでもある樋山恭介、通称ココが働いている店で、瑞樹の弟である柚葉と秋一は皿洗いのバイトをしている。「だって、夜勤だから賃金高いし」と、真面目で、間違ってもこんなところに踏み込まなさそうだったココがあっさり言ったときには驚いた。裏方とはいえ同じ場所で働いている秋一にココを責める権利はないのかもしれないが、時間外労働していることを知ったときはさすがに責めた。ユズと瑞樹が止めなかったら殴りかかっていたかもしれない。
「あれ? 今日、秋一は入ってないよね」
 洗い場で待っていると、手を拭きながらココが戻ってきた。
「ああ。告げ口しに来た。お前の旦那と僕の元彼が浮気中」
「へえ……」
 端的に告げようと考えていた台詞も、大して興味がなさそうだ。腕を捲り上げスポンジを手に取ったココは手早く洗い物を片付けていく。
「ココは、気にならないのか」
「なるけど、相手が瑞樹だしね。俺にはなんとも言えません」
 おどけた調子で言ってるココからは、何の気負いも感じない。本当にどうでもいいのか? まさか。
 ココのケータイが鳴った。
「柚葉、悪いけど見て」
「んー」
 ココの尻ポケットからケータイを抜き取ったユズが、その内容を秋一に見せようとするので、手首を掴んでココへ向けた。
 店で働く前は、秋一もちゃんと「樋山」と名字を呼んでいた。気がきくところを見込まれて、表に出るようになった樋山の源氏名は「ココロ」。「樋山」は三文字。「ココ」は二文字。呼び方を変えた理由はそれだけ。
「秋一、代わって」
「そんな予感がしたんだ。行ってこい」
 メールの本文を読んだココが静かに頼んできたので、嘆息を吐きつつ応じた。
「時間、メモしとけよ」
 隣でユズが呑気に言いながらココにひらひらと手を振るのを横目に、袖を捲りあげる。
「ユズ」
「ん?」
「僕、お前に惚れてしまうかもしれない。見た目が、瑞樹とそっくりすぎる」
「中身は、俺の方が良い男でしょ?」
「……付き合い短いからそこまではわからない」
「正直だね、秋一センパイ。いいよ、待ってるから」
 今日はどこかおかしい自分を認めつつ、秋一は目を瞑ってユズの口づけを受け入れた。
 瑞樹を知った体で、そっくりな別人を愛せるかと訊かれたら頷きそうで怖かった。


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