図書室の主 | ナノ

Platonic days

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「だめ。そういえば、久しぶりだな。先日、弟さんに会ったからそんな気がしないけどな」
 さらりと口を突いた普通の挨拶は瑞樹に気に障ったらしい。続いた言葉は真司に刺さる。
「恭介は知ってんの?」
「あいつと俺は別人格だ」
 多少酔ってしまったらしい。敢えて挑発的に言うと呆れたような溜め息を吐かれた。
「何? 浮気したいの?」
 そうだ、と言いかけて口を噤む。浮気。もし、あいつが本当に瑞樹に抱かれていたとしたら。これって、絶好のチャンスじゃないか?
「なあ、岸本瑞樹……。お前、あいつを抱けるなら俺も抱けるよな」
 絶句した瑞樹の目を覗きこみ、真司はゆるりと笑う。
「岸本秋一には黙っててやる。場所は俺の家でいいな。行くぞ」
 瑞樹の恋人の名前を出し、固まる瑞樹を引き摺り店を後にする。瑞樹は何度か暴れたが、生憎、真司と場数の踏み方が比べ物にならない。
 電車の中では瑞樹も大人しくなって、諦めたようにケータイを触っていた。
「緒方はさあ、恭介のこと、信じてるんでしょう」
「……ああ」
「なんでこんな馬鹿な真似するの」
 穏やかな話し方があいつに似ていて、苛立つ。
 瑞樹を部屋に上げて布団を敷き、綿のTシャツで手首を縛る間もまったく抵抗されなかった。
「緒方、おかしいよ」
「知ってる」
「このTシャツ、破いてもいい?」
「できるものなら」
 嫌な音と共に呆気なく布切れと化したものを一瞥する間もなく視界が反転する。暗がりの中に浮かび上がった瑞樹は真剣な表情をしていて、口端が上がってしまう。
「俺、有言実行の男だから。本当にやっちゃうよ? いいの?」
「くどい。据え膳のまま、消費期限が切れるよりマシだ」
「なるほどね。まあ、緒方が本気を出したら押さえつけられないし。抵抗がないってことは同意ってことで」
「だから、くど――っ」
 最後の音は喉に留まった。唇を塞がれ、やっぱりあいつはキスが上手いということがわかった。今更だ。もう遅い。
 お互いを睨みあったまま、これほど険悪に口づけを交わす人間も珍しいだろうと思うと笑えてきた。
 かつて真司を傷つけた指が、いとおしむように触れてきてくすぐったい。ふと、瑞樹の恋人――数少ない真司の友人の姿が脳裏を過った。
 あいつは傷つけても構わない。でも、秋一は。真司と瑞樹を信頼しきっている、あの脆い友人は。そこまで考えて目を閉じた。瞼に唇が触れる。
 自分さえよければいい。みんなで傷つけば、きっと、何かが変わる。
 上半身が外気に触れ、期待で身震いしてしまうと瑞樹がくすり、と笑った。「かわいい」と欲に濡れた声で囁かれると、気恥ずかしさが込み上げてきて居たたまれない。
 ――かちり、と玄関の内鍵を閉める音がした。脳が瞬時に判断を下す。
「岸本、っ」
 寝返りを打った勢いで瑞樹を押し倒し、その唇を奪う。視界の隅に、あいつが見えた。
 タイムリミット。まだ何もしていないのに。


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