図書室の主 | ナノ

図書委員の日常

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 そしていつもは樋山が隣に腰かけたところで読書を開始するのだが今日は違った。
 彼は樋山を見つめたままで手元の本を開こうとしない。彼が自分を認識してくれることは嬉しいが落ち着かない。
「緒方」
 居たたまれなくなって名前を呼ぶと予想外の返事がきた。
「なあ、お前の名前って何」
「……え」
 図書委員兼緒方の連れ戻し係になってから約ひと月、同じクラスになって半年以上が経った今それですか。
 なんだか泣きたくなったがなにせ緒方は外部生。幼稚園から周りを見知っている内部生の樋山とは違うのだ。
「樋山恭介だよ。……同じクラスって知ってるよね?」
 返事がない。彼を見れば気まずげに目を逸らされた。やっぱり泣いてしまおうか。もうやけくそだ。
「樋山。もう、憶えた」
 なのに彼はにっこり笑って、もう一度樋山と呟くと彼は何事もなかったかのように読書を始めた。
 ひとり現実世界に残された樋山はぼんやり緒方を見つめ、頭を抱えた。
「あー……」
 なんだろう。
 すごく嬉しくて、叫びたいような、校内を駆けまわりたいような複雑で甘い気分。
 深呼吸をして彼の耳元へ唇を寄せた。
「緒方、好きだよ」
「俺もだ」
 予期せぬ返事に心臓が跳ねあがる。
 至近距離にある彼の茶色い瞳が樋山を捉えた。
 聞かれてしまった。
 どうしようかと混乱する樋山をよそに、彼は小さく笑ってやっぱり読書を続けてしまい、その様子に拍子抜けして今度こそ頭痛がしてきた。
 まったく、この想いをどうすればいい。いや、その前に。
 予鈴が鳴ったらどんな顔して連れだせばいいんだ。



 幼小中高を併設する私立の中高一貫の男子校、夏扇学園。内部進学者が七割を占める中高は、生徒たちの大多数が幼い頃から乳母日傘で育てられたことが仇となりすべてが浮世離れしていた。
 生徒会執行部は教師の傀儡、委員会活動は有名無実。
 樋山の所属する中高図書委員会も例外ではない。本来、生徒の本の貸し出しを管理するはずの委員会活動は「本を借りる人がいないから」という嘆かわしい理由で機能を停止していた――ひと月前から。
「誰か本を借りる人がいるかもしれないから」と委員長主導で細々とたまに図書委員が出入りしていた図書室。毎週、ローテーションで拘束されていたらしいが、中一を含め誰も守っていなかった。
 緒方とふたりきりになりたいという私情から樋山は委員長へローテーション解消の直談判、その訴えは聞き入れられ、今や図書室はふたりの空間。
「緒方」
 名前を呼ぶたびに苦しくなるこの感情を恋と呼ばずして何と呼ぶ。


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