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いや、そもそもあの性格悪い暁のことだ。恭介と彼との関係も知っていてどのような行動に及ぶかどうかも予想して敢えて恭介に割り振ったに違いない。偶然にしては出来過ぎている。性格悪い上に悪趣味とは救いようがないと笑おうとして失敗した。
私鉄に飛び乗り目を閉じて先程目を通した情報を反芻しようとすると頭が割れそうに痛む。
深呼吸をすれば調査対象の写真が脳裏をちらついて、同時に調査内容が文字として浮かび上がってきて、恭介は自分が動揺していることを認めざるをえなかった。
さる実業家の娘と彼の結婚話が持ち上がっている。
一見普通の身辺調査依頼だ。実際は彼の粗探しをせよというもので、あったら普通に殺害せよ、なかったらでっちあげた後、殺害せよとの依頼。珍しくもない。
人殺しの報酬額としては普通。
単純に粗探しかでっちあげかを行い破談に持ち込めばいいものを、なぜわざわざ。
娘のことになると父親がおかしくなるのは世の常だがここまでするかと呆れてしまう。
迷う時間はない。恭介ひとりなら逃げ切れるが彼はこんなことに慣れているはずもなくまた、あのまっすぐな彼が逃走を望むかどうか。それに彼は婚約者と愛し合っているのだから、自分の命よりも彼女を取りそうだ。
彼に拒まれたときのことを考え、忘れていたかつての痛みが胸を刺した。
自分の苛立ちの原因がどこにあるのかわからなくて更に苛立ち、私鉄の低い天井を睨みつけた。意識的に彼の姿を思い描く。写真ではなく、恭介の記憶に残る最後の彼の男らしい表情。
調査対象、緒方真司。樋山恭介の友人であり、かつての恋人である。
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すみれと目が合って、どちらからともなく笑う。ああこれが幸せなのかと素直に感じられる。まだ少し照れ臭さが残るのは、婚約して日が浅いからだと真司は思う。
「それにしても駆け落ちにならなくてよかった」
だって駆け落ち先から会社に通うなんて面倒だもの、とぼやく彼女に吹き出してしまうと睨まれた。
「あら私、真剣なのよ。プー太郎なんてだめよ、ちゃんと働くんだから」
「わかってるよ」
まったく彼女には敵わない。すみれの肩を抱くとくすくすと笑って肩を叩かれた。
「真司くん、だめよ、ちゃんと働くの」
「そんなに怠けるように見えるか?」
「見える。だって私に夢中じゃない」
「なるほど」
「やだ、真面目に取らないで」
そしてまたくすくすと笑い、伏せた目が上げられた瞬間くちづけた。