うさぎは空を飛べない

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鬼囃子

3


 ちちち。小さく鳥の鳴き声が聞こえた気がした。
 じっと耳を澄ませば向こうの方から車のエンジン音が聞こえた。断続的に聞こえてくるので、途切れることなく車が走っているのかもしれない。
 うっすらと閉じられていた目を開けば、ほんのりと部屋を照らす白い光に気がついた。肺に入ってくる空気も心なしか暖かい気がする。

「朝……?」

 ゆっくりとした動作で立ち上がり、カーテンを恐る恐る開ける。
 窓の外には、青く澄んだ空と、白い綿のような雲が浮かんでいた。
 完全に日が昇っている。朝だった。
 どうやらあのまま、座ったまま眠ってしまったらしい。
 なんと図太い神経だろう。思わず、苦笑が漏れた。
 自分に呆れてしまう。あれだけ怯えていたくせに、体は休息を求めていたらしい。
 長時間同じ体勢だったために体はがちがち。凝り固まった筋肉をほぐして、着替えをする。
 ワイシャツに袖を通し、紺のネクタイを結び、スラックスに履き替えてブレザーを羽織る。
 姿見で自分を確認してネクタイが曲がっていることに気がつく。
 それをさらっと直してから、窓の方に視線を向ける。
 あそこから顔を出し少し下を見たら、もしかしたら昨日の痕跡が残っているのではないだろうか。飛び散った黒いなにかが、家の壁や道路にべったりと残っているかもしれない。
 確認するべきか、否か。
 数瞬の葛藤ののち、俺は結局窓の外を見ることはなかった。
 部屋から出て廊下を歩きリビングへ向かう。リビングの真ん中に堂々と鎮座している、木目調のテーブル。一度に五人くらい座れそうな大きさだ。――実際は、どれだけの人数が座れるか分からないのだけれど。
 そのテーブルの上にはラップがかかった皿と、一枚のメモ用紙があった。

「仕事が入った しばらく帰れない   母」

 メモ用紙に書かれているのはそれだけだった。
 母は多忙で父はなし。家には大抵俺一人だ。
 それはもう慣れきったことだけれど、少しさみしくなる。幼いころから母と俺だけの生活だったから、慣れるほかなかった。
 メモをたたんでテーブルの上に戻し、ラックに入っているリモコンを使って、テレビの電源を入れる。
 流れてくる女子アナの話し声。蝶ネクタイと黒縁メガネのアナウンサーが、軽快に女子アナの話を引き継いで次のニュースへと移っていく。
 テレビはそのままつけておこう。
 軽い調子の声が響く。音が部屋に満ち満ちた。
 テーブルの上の朝食を確認する。
 食パンとレタス、ハムにチーズ、カニかまぼことほうれん草、最後に黄色いスクランブルエッグ。これらを挟んでサンドイッチでも作れということか。
 キッチンの近くにおいてあるトースターの中に食パンを入れて、焼き始める。
 ぼんやりとニュースを聞きながら、パンが焼きあがるのを待つ。
 外から登校中だろう子どもの笑い声が聞こえた。
 ガシャン。
 トースターが焼けたパンを吐き出した。食パンは真っ黒に焦げている。
 どうやら設定時間を間違えてしまったらしい。
 もったいないことをした。ぼんやりしないできちんと見ておけばよかったか。焦げていても食べられるだろうか。
 真っ黒トーストを持って、席につく。
 それから母が焼いていってくれたスクランブルエッグとレタスを乗せて、一口。

「苦い」

 表面はなんだか、炭みたいにじゃりじゃりしていた。
 新しいやつをまた焼こうと思ったけれどそんな時間はない。
 黒いトースト二枚をきっちり食べきり、食器を片付ける。使いきらなかった食材はラップを掛けて冷蔵庫へ。
 カバンを取りに自室に戻る。ベッドのそばに放り投げられていたカバンを手にとって、ふと窓の方に視線を向けた。
 開けて確認すべきか否か、まだ迷う。
 が、俺はすぐに玄関に向かった。
 どうせ外に出るんだから、あとで確認できる。
 黒の革靴を履いて、ドアノブに手をかける。ひやりとした冷たい金属の感触。深呼吸をして、腹の奥に力を込めた。
 もしかしたら、扉を開けた途端血痕がびっちりとついた道路に出るかもしれない。
 昨日の光景が、また頭の中を流れていく。

「よしっ」

 気合を入れて、一度だけ大きく息を吐いた。

「いってきます」

 見送ってくれる人はいない。自分の言葉だけが虚しく残る。
 目の前に広がる青い空。本日は快晴。茶色のプードルを散歩しているOL風の女性が目の前を闊歩していく。
 お隣の家からスーツを着た男性が、ゴミ袋を持って出てきた。仕事に行く途中でゴミを出すようだ。きっといい父になるだろう。
 いつもどおりの光景。普段となにも変わらない。
 俺は玄関の前に立ったまま、呆然とあたりを見てばかり。
 バタンと扉が閉まった。慌てて家の鍵をかける。
 なにも変わらない風景に、俺は昨日の現場に行くことを決めた。
 どきどきと脈打つ心臓を抑えこんで、足早に家の裏側へと向かう。
 未だに渦巻くあの夜の出来事。壊れた投影機のように、脳内であの光景が何度も繰り返される。銀の剣が黒で濡れ、雫があたりに飛ぶあの光景だ。
 もしかしたら、変な体勢で眠ったために見てしまった悪夢かもしれない。いや、そう言われたほうがむしろ納得できる。俺の夢だって、信じたい。
 家の裏側についた。顔を上げれば俺の部屋にある出窓が見える位置だ。昨日の事件の現場に、ついた。
 あたりをくるっと見回しても、そこに広がるのはなにも変わらない日常の風景。
 俺と同じように登校中の学生とすれ違ったり、会社に向かう途中のサラリーマンを見かけるばかりだ。
 下に目を落としても、石を敷き詰めたようなコンクリートが整然と並ぶばかりで、血痕や昨日の出来事を示すような跡は残っていない。きれいなものだ。
 道の端や電信柱の裏、目が届かないところになにかあるのではと、じっくりとあちこちを観察したが、なにもない。本当にあれは夢だったのではないかと疑ってしまうほどだ。
 男性が逃げ去った方向が丁度通学路であったため、俺は証拠や痕跡がないか確認しながらゆっくりと学校へ歩き始める。
 道の端、壁の低いところや高いところ、溝の中……。
 細かいところにも目をやっているつもりだが、なかなかあの出来事を証明する「なにか」は見つからない。
 突然、誰かに肩を軽く叩かれた。
 驚き、振り返ると、そこには悠の姿が。
 金の髪が太陽の光を受けて透け、いつもより一層柔らかそうに見える。

「おはよ。すっげー動きが怪しかったぞ。下見てキョロキョロしちゃってさ」
 にやにやと、悠は嫌な笑みを浮かべている。
 居心地が悪い上に、なんだか気まずい。
 反応に困った挙句、俺は短く咳払いをした。わざとらしくなったのはこの際仕方ない。

「せっかくだし、いっしょに行くか」
「もちろん。動きの怪しい君尋くん?」
「何度も怪しいって言うなよ」
「なんでさ。見てて面白かったぞ」

 そんなこと言われても嬉しくない。眉間にシワが寄るのが分かった。
 それを見て、悠は更に楽しそうに笑う。
 こいつ、俺をからかうつもりでいたのか。
 俺たち二人は行き交う人の波に乗って、学校を目指す。学校に近づくにつれて、同じ制服を着ている人が、多くなってきた。
 歩いている途中も悠とくだらない会話をしながら、俺はあたりに目を凝らしていた。
 きっと、否、絶対に昨日の出来事の痕跡がなにかしらあるはずだ。俺が見つけられていないだけで、必ずどこかに在るはずなんだ。
 くるくるとあたりを見る。段々悠への返事もおざなりになってきた。
 それでも、探すことはやめられなかった。夢か現か、はっきりさせたくて仕方なかった。
 五本目の電信柱を通りすぎようとしたときだろうか、悠が歩みを止めた。それにつられて、俺の足も止まる。
 周りの学生はこちらのことなど気にもとめず、俺たちを追い越していった。
 少し後ろにいる悠のことを見る。怒っているように見えた。
 なにかしてしまっただろうか。

「君尋どうしたんだ? さすがに変だぞ」

 そこまで言われてやっと気がつく。彼が俺の訝しんでいるんだと。俺の行動があまりにも不自然だったから、余計な心配をかけてしまったんだと、やっと理解した。
 思わず口ごもる俺に、彼はたたみ掛けるように言葉を投げかけてきた。

「なにか探してるのか?」
「な……んでもないよ。気にするな」
「なんでもあるだろ。言ってみろって。できるかぎり手伝うから」
「本当に、なんでもないんだ」

 左耳の裏を撫でながら、答える。
 昨日、家の近くで殺人未遂があったんだ。男の人が斬られてすごい量の血が流れていたのに道路に血痕の一つもないなんて変だから、今それを探しているんだよ。
 言えない。口が裂けても言えるわけがない。それに聞かせていい内容じゃない。俺は犯人に見つかっているんだ。話せば悠まで巻き込んでしまうかもしれない。そんなのは嫌だった。俺が嫌だった。エゴかもしれないけれど、嫌だった。
 俺の対応に、不満を隠すこともなく全面に押し出す悠の表情に、思わず苦笑が漏れる。
 思っていることが顔に出てくるのだから、本当に正直なやつだ。

「ま、そこまで言うならいいけどさ。困ったことがあったら、遠慮すんなよ、力になりたいから」

 その言葉に、俺はまともな返事ができなかった。約束が、できなかった。
 悠の方は気にした様子もなく、歩き始めて人の波に乗る。俺もすぐ、その後に続いた。
 昨日のドラマ見たか?
 いや、見てない。眠くてすぐ寝た。
 なんだよもったいない。
 他愛のない会話だ。
 もしかしたら、昨日のあれは本当に夢だったのかもしれない。
 体の力がすっと抜け落ち、楽になっていく。
 周りには制服に身を包んだ学生たち。その中に、同じ服を着た俺たち二人がいる。本当にいつも通り。
 ふっと、頬の筋肉がゆるみ、笑みが浮かぶ。

「なんだなんだ、その笑顔はなんなんだー?」
「なにか、変だったか?」
「挙動不審のあとの笑顔……はっ、もしや恋わずら」
「違う、絶対に違う」

 勢い良よく否定してしまい、しまったと後悔する。これじゃあまるで相手がいるみたいじゃないか。
 案の定というか、悠はにやにや笑い出し、俺のことをじっと見てきた。
 絶対、勘違いした。俺の反応のせいで勘違いさせた。
 きれずにため息を吐き、前を向いて歩き出す。
 今は、なにを言っても聞いてくれる気がしない。どんな弁解も無駄な気がした。
 かつかつ。後ろからローファーの足音が迫ってきた。おそらく女子だろう。堂々とした足音だ。他の人と歩き方が違うのか、その音だけやけによく聞こえてくる。
 その足音が、俺たちの横を通り過ぎる。
 完全に、目を奪われた。
 黒の長い髪だった。夜の色を映しこんだような、きれいな髪色。
 と、俺の視線に気づいたのか、彼女はこちらに目を向けた。
 視線がつながる。
 深い深い夜のような、全てを包み隠してしまうような、底が見えない黒い目だった。
 その瞳に見覚えがある。つい最近見たばかりのような気がする。

「みつけた」

 ポツリと、彼女の口からこぼれた言葉。
 咄嗟に意味が理解できず、ただただ彼女を見つめるばかり。
 相手はそんな俺を置いて、さっさと先に行ってしまった。おろされている黒髪が歩くたびに揺れ、たなびく。

「おいおいキミちゃん。いつの間にあんな有名人に声かけてもらえる仲になってるんだよ」
「有名人?」

 聞き返せば、悠は大げさなくらいに驚いてみせた。どうやら本当に有名人らしい。
 人混みに紛れた彼女の背中を探して、ぼんやり思う。

「おま、まさか麗夏様を知らないのか? いくら俺たちが入学したばかりだって言っても、先輩たちから噂とか回ってくるじゃないか!」
「まだ5月なのに知ってる悠にびっくりだよ。さすが自称情報通」
「自称じゃないって分かったか」

 胸を張る悠。すごく誇らしそうな表情だ。
 俺はカバンを持ち直して、それで、と聞き返す。
 それから彼は勿体つけて、これは先輩たちがよく話す内容をまとめたものなんだけど、と話し始めた。

「さっきのは東藤麗夏先輩。剣道部の副部長で、女神ってのがしっくり来るお姉さまだよ」
「女神?」
「女神様! 他人に優しく自分に厳しくってのを体現している人で、すごく清らかでかっこいい! 人魚姫みたいな感じでさ」
「泡になって死ぬ運命の人なんだ」
「ちげーよ、例えだって。しない構えているときの先輩なんか、めっちゃ凛々しくて騎士様ってのが似合いそうな雰囲気でさあ!
「男らしいのか、理解した」
「ちが……わないか。さっぱりしている人だよ。んで、制服姿は清楚で可愛らしくてもうたまんない!」
「ああ、はいはい。なんとなく分かったから落ち着けよ」
「まだまだあるぜ、麗夏様の武勇伝! 木から下りられなくなったネコを助けたりとか、去年の夏の大会の勇姿とか!」

 話し続ける悠の声を聞き流し、校門をくぐり学校へ。
 人の流れに乗って校舎に入り、階段を登る。階が上がるたびに人がどんどん減っていった。
 俺たちは四階でその流れから外れ、教室に向かう。
 その間、悠の話が途切れることはなく、「女神様」についての話が延々続くのではと思われたほどだ。
 それだけたくさんの逸話や武勇伝があるのなら、同じクラスの人も知っているのかもしれない。まあ、だからと言って彼女に興味があるわけではないのだが。
 悠はオレが自分の教室についても、楽しそうに話し続けていた。
 丁度猫を遠ざけるように手を振って、自分のクラスに帰れと伝えれば、文句を言いながらも、彼は自分のクラスに向かっていった。
 自分の席につき、鞄の中身を机に入れてほっと一息入れる。
 気を抜くと昨日のことを考えてしまう。
 振り下ろされる銀。飛び散る黒。聞こえる、地を揺るがすような叫び声。
 ぎゅっときつく目をつぶる。
 考えすぎてはいけない。思い出してはいけない。あれはどうせ、夢なのだから。そう自分に言い聞かせる。
 だがそれと同時に、俺の中のなにかがあれは現実なんだと訴えていた。無視をするにはその心の声はあまりにも大きい。一体どう判断をつければいいのだろうか。
 勢いよく目を開き、そこで考えを打ち切った。
 こんなことを考えていたって仕方がない。どうせ答えなど存在しないのだ。犯人にでも会わない限り、確認のしようがないのだから。

「それにしても、東藤……だっけ」

 朝すれ違った人物のことを思い出す。
 その後姿が、眼差しが、ほんの一瞬だけ昨晩短剣を振るっていた女性とかぶった。だけど、まさかそんな。そんな近くに加害者などいるわけがない。
 チャイムが鳴る。それと同時に先生が教室に入ってきた。慌ただしく席につくクラスメイト達。
 中には先生に「いつも来るの早いんだよ」なんて文句を言っている奴もいた。
目の前の席に、男子の背中が座った。
 その日の授業は、どうも集中ができなかった。
 先生の話はちょうどいい子守唄や呪文のように聞こえるし、始業終業のチャイムがいつ鳴ったのか分からないほどにぼんやりしてしまう。
 終いには当てられた数学の問題に答えることができず、先生を困らせてしまった。
 授業がそんな感じなら、もちろんノートなども殆ど書けていない。
 困った俺は休み時間にノートを貸してくれないかと前の席の男子に尋ねたのだが、どうも相手の歯切れが悪い。

「あー、っと。おれのノート汚いからさ。他のやつに頼んだほうが分かりやすいんじゃないかな」

 誰に聞いても似たような返答しか戻ってこない。
 要は誰もがノートを貸したがらないわけだ。
 なんだかもうクラスメイトのその態度も勉強も、面倒になる。集中できないなら、しなければいい。
 俺はそのまま机に突っ伏し、ぼんやり過ごす。
 バンッ。誰かの手が、俺の机を思い切り叩いてきた。大きな破裂音が耳に響く。
 なにが起こったのか分からずそのままの体勢でいると、君尋、と名前を呼ばれた。
 悠の声だ。

「昼飯一緒に食うぞ!」
「あ、ああ。いいけど」

 お前は友達いないのか。そう言いかけて、やめた。
 返事とともに体を起こす。
 時刻はすでに十二時四十分を過ぎていた。四時間目が終わっていた。
 突っ伏している間に寝てしまったようだ、記憶がない。
 ため息をつきたくなったが、ぐっと飲み込む。
 これ以上幸せを逃してはいけない。

「なあ、悠。ノート見せ」
「じゃ、購買行ってくるから」

 話しかける間もなく、悠は教室を出て行った。
 後に残された俺は、机の上に弁当を出してから一つ大きな伸びをして、彼が戻ってくるのを待つ。
 窓の外には、生徒たちが弁当を広げて談笑していた。同じ紺のネクタイということは同じ学年なのだろう。笑い声がここまで聞こえる。
 楽しそうで少し羨ましい。
 ぼーっと窓の外を見ていたら、こちらに近づいてくる人の気配を感じて振り返る。
 そこにはクラスメイトの女子が、ビクついた様子でこちらを見ていた。短めの髪がなんとなく揺れている。

「あ、あの。先輩が呼んで……ますよ」

 とってつけたような敬語に、イラッとくる。眉間にシワが寄った。
 無理して使うくらいならば、最初からない方がいいに決まっている。なんだかすごく、気分が悪い。
 女子の方が大きくはねた。
 それを見てため息をつく。
 別に、怒っているわけではないのだけれど。

「先輩って誰」
「東藤って女の先輩でした。校舎裏で待っているって言って、行っちゃいましたけど」
「そっか、ありがとう」

 こくりと頷くと、女子はさっさと離れていった。反対側に集まっている女子二人のところに彼女は溶けこんでいく。二人は俺のところに来た女子に言葉をかけ始めた。
 怖かったよ。睨まれた。
 大丈夫? よく頑張ったね。
 怖がらせてなにが楽しいんだろうね、あの人。
 これから一年間一緒とかやだなあ。
 そこまで聞いてまたため息。
 何故、女子とはこうも面倒なのか。
 席から立ち上がった瞬間、女子らは固まりこちらを凝視してくる。気まずそうな、怯えているような目だった。
 俺はそれを無視して教室を出る。
 早くも昼食を済ませたらしい男子たちが廊下で話しており、そこは賑わっていた。青のネクタイばかりが目についた。
 階段を降りている途中、ビニール袋を持った悠を見つけた。
 彼は驚いたようにこちらを見ている。俺の手元を確認して、不思議そうな目を向けてきた。
 俺と悠の視線が合わさった。

「どうしたんだよ。外で食うの?」
「用事できた。一人で食べてろ」
「あ、え、キミちゃん!?」

 そのまま階段を駆け下りる。背後から何度かキミちゃんと繰り返される声は完全に無視した。
 校庭に出ると、丁度男子がバスケットボールをリングに入れたところだった。
 上がる歓声も無視して校舎裏にまわる。
 途端、音が遠くなった。歓声も、ドリブルの音も、とても遠く感じる。
 茶色の剥きだした土に埋まっている広葉樹は青々と茂り、それが作り上げた木漏れ日の下には自転車置き場がある。まばらに停めてある自転車が、なんとなく寂しく感じた。
 周りを見る。人の影は見当たらない。呼び出した本人はまだこちらについていないのだろうか。
 微かに歓声が聞こえた。
 多分シュートでも決まったのだろう。楽しそうで、混ぜてもらいたくなる。

「石槻君尋くん、かな」

 背後から声をかけられた。慌てて振り返る。
 そこには胸のあたりまである長い髪を下ろし、きっちりと制服を着ている少女がいた。首元にある赤のリボンが目に入る。三年の先輩のようだ。自然と体に力が入る。

「ゴメンネ、先生に捕まっちゃって」
「東藤麗夏先輩、ですね」
「はい、そうです。急に呼びだしちゃってゴメンネ」

 彼女はわずかに息を切らしながら言った。
 恐らく走ってきたのだろう。律儀な方だ。
 彼女はふーっと長く息を吐きだすと、俺と目を合わせてふわっと笑った。桜の蕾がほころぶような笑顔だ。
 既視感を覚える。昨晩の女性が頭の中でこちらに微笑みかけてくる。
 頭を軽く振ってその映像を追いやった。これじゃあまるで、彼女をあの晩の女性だと思っているみたいじゃないか。おかしなことを考えてはいけない。自然と、足が震えてくる。

「今日は君に聞きたいことがあって呼んだの。正直に答えてくれたらすぐに終わるから、お願いね」

 それじゃあ、単刀直入に聞くよ。
 ゴクリと喉が鳴る。
 なにを聞かれるのか、なんとなくの予想がついてしまう。疑うなんてしてはいけない。

「昨日……というより今朝かな。今日の午前二時頃、君はどこでなにを見たのか、教えてくれる?」

 一瞬、喉を締めあげられたような気がした。それから、痛いくらいに心臓が脈打ち始めた。身体が鼓動をしているようだ。指先が急速に冷えていく。
 予想が当たってしまった。
 その時間に見たのは、あの一連の出来事だ。

「その時間は、寝ていましたよ。学校だってあるわけですし」
「ふぅん? じゃあ、次行こうか」

 震える声で返せば、東藤はあっさりと引いた。
 開いたままだった手を握りこみ、力を入れる。熱い手のひらに指先が冷たくて気持ちいい。
 油断して、ボロを出さないようにと気を引き締める。
 木が植わっている方向を指さして、彼女は笑った。いたずらを思いついた子供のように純粋に笑っていた。

「彼に見覚えは?」

 素直に指差された方向に顔を向ける。
 と、そこにはスーツを着た男性がいる。
 昨日、女性に斬られた人物が、いた。
 一瞬、呼吸を忘れる。
 しばらく男性を見ていると、昨日と様子が違うことに気づいた。
 男性の足取りがおぼつかない。昨日の怪我がたたっているのだろうか。ワイシャツのボタンが二つほど飛んでいるし、きっちり着ていたスーツは着崩れていてだらしがない。革靴も片方脱げていて、黒い靴下がむき出しだ。
 そこまで観察して、もしかして自分は結構冷静なのかもしれないと思えてきた。

「やっぱり、見えているんだ」

 その言葉に、思わず彼女の方に視線を戻してしまう。
 まるで、男性を認識できる方がおかしいとでも言っているような言い方だ。
 なにか、自分が想像もできないことに巻き込まれそうになっているのではないか。漠然とした想いがよぎる。
 俺の戸惑いをよそに、東藤はゆったりとおろしていた髪をまとめ手首にあったゴムで結ぶ。その後東藤は、堂々とした足取りで俺と男性の間に立った。立ち姿がさまになっている。
 東藤の後ろ姿を見て、俺は昨日の女性と彼女が同一人物なのだと確信してしまった。
 後ろ姿、立ち方、放つ雰囲気と空気、笑い方、瞳の色――。数え上げれば共通点など山ほどあった。
 それでも俺は認めたくなかったのだろう。悠が、彼女のことを嬉々として語っていたから、東藤と女性は違う人物なのだと思いたかった。
 いつの間にか彼女の手の中には波打った刀身の短剣が握られていた。

「大丈夫。さっさと倒すから安心して見ててね」

 ちらりと俺の方を見て、笑顔を見せながら彼女は言った。
 あまりにも無垢で、純粋で、眩しい笑みに、俺は動けなくなる。
 それを確認した東藤はもう一度微笑み、男性に向き直る。
 厄介事に巻き込まれる前に逃げなければ。なにも知らない見てないということにして、今すぐに教室に戻らなければ。
 そう思うのに、体はぴくりとも動いてくれなかった。まるで足裏から太い根が生えてしまったようだ。
 一歩、男性が足を踏み出した。それにあわせて彼の体が大きく揺れる。俺を求めるように右手を持ち上げ、顔を上げてこちらを見つめてくる彼の目は空っぽで、ガラス球のように感ぜられた。
 情けなく怯える俺の顔が、男性の目に映り込んでいる。
 男性の口元が動いた。なにか言っているようだ。声は聞き取れない。ふらり、ゆらりと一歩一歩踏み出して近づいてくるさまは、まるでゾンビのようだ。
 東藤は仁王立ちして、彼がそばに来るのを待っているようだった。
 その堂々とした姿に、不安を覚えた。彼女の余裕が、むしろ怖いと思った。
 男性の手が東藤に触れそうになったとき、彼女はやっと動いた。握っていた短剣をその腕に叩きつける。
 悲鳴があがった。地面が揺れたような低い声だった。
 腕から黒が飛び散って、溢れだした。溢れだした黒は、血液とは全く無縁の液体のようだった。本当に、真っ黒なインクにしか見えない。
 男性は人間ではないのだと本能的に理解してしまう。
 彼は斬りつけられても腕を下げることはなかったし、余計になにかを求めるように伸ばされた。一心に、男性は俺を見つめてきている。
 男性の歩みは止まらない。地面にぼたぼたと黒いインクを流しながら、必死な様子でこちらに手を伸ばす。
 東藤はただ黙ってそれを見つめているが、わずかに空気が変わった気がした。
 彼女の隣に、男性が並んだ。その機を逃さず、東藤は男性の脇腹目指しぶつけるように短剣を叩きつける。
 男性の白いワイシャツに黒が染み込んだ。振り切った短剣から飛び散った黒が、俺の頬や胸元に思い切り飛んできた。
 ねっとりとした感触が頬から顎へと伝い、落ちていく。
 自分の呼吸が、荒くなるのが分かった。
 男性は斬られた衝撃で地面に倒れ伏す。白いワイシャツに、嫌な色が広がっていく。
 土が、どす黒い色に染まっていく。
 なにが俺の足元に飛んできた。目線が自然と下に落ちる。青の石がついた銀のタイピンが転がっていた。
 立ち上がるよりも前に、男性は無傷の腕を使って、這ってこちらに近づいてくる。

「しつこいな。いつまで動くんだろう」

 冷えきった東藤の声に、背筋が凍りついた。心が締め上げられる。
 男性と俺との距離はあと数センチといったところか。彼が腕を伸ばせばつま先に触れられるのかもしれない。
 根っこを無理やり引き抜いて、引きずるように何歩か後ろにさがる。
 そのとき、ずっと男性がブツブツ言っていた言葉が、耳に入った。

「会いたい。君尋。触れたい。君尋。会いたい。君尋。触れたい。君尋。会いたい。君」

 ずっと繰り返される言葉。単調に吐き出される思い。
 恐ろしかった。怖かった。ただただ、震えがわきあがり、とめられなかった。
 俺がなにかしたのだろうか。彼と面識はあっただろうか。思い出せない、なにも、分からない。分からないことが恐ろしくて、理由を見つけようと記憶を漁っては、なにも見つけられないの繰り返し。
 倒れている男性の背中を、東藤は勢いよく踏みつけた。ぐわっと苦しそうな声を上げる男性。
 そこは丁度、昨日彼女が切りつけた傷があるであろう場所だった。
 そこをぐりぐりと痛めつけ踏みしめながら、東藤は笑っていた。優しく穏やかに、微笑んでいた。
 動けない男性はその場でもがきうめき、苦しそうに表情を歪める。それでもガラス球の視線が俺に向けられているし、彼の口は俺の名前を呼び求め続ける。
 東藤は深く息を吐き出すと、未だ黒が滴る短剣を握り直した。そして男性を踏んでいる足に体重をかけ、彼が動かないように固定してから、左側の肩甲骨辺り――心臓を、迷いなく突き刺した。
 飛び散る黒。今までと比べると勢いはないが、充分すぎるほどの量があたりに溢れていく。

「君尋。会いたい。君尋。触れた」

 ぱたっと、声は途切れた。
 それと同時に求めるように伸ばされていた腕も、地面に落ちる。
 それを確認した東藤が、男性の体から短剣をゆっくりと引き抜いていく。
 黒光りする、銀の刀身。太陽の光にさらされたそれは、この世界の物ではないような、非現実的な雰囲気を放っている。
 完全に、男性の体から短剣が抜けた。と、同時に男性の体に変化が現れた。
 足元から、さらさらと黒い粒子に変わり、それは空に昇っていく。
 なにが起こっているのか全く理解できず、呆然と目の前の光景を見つめる。
 幻想的な光景だった。黒の粒子が空に溶けこむように、空に吸い込まれるように昇っていく。
 男性の足が、腿が、腰が、腹が胸が首が頭が黒い粒子に姿を変え、空に消えていく。ついに男性の全てがなくなり、空に溶け込んだ。
 と思ったら今度は俺や東藤の服についていた黒までもが粒子となって離れて、さらさらと上空の青へと。頬に飛んでいた黒が、肌から離れていく感触。
 静かに音もなく、男性がいた痕跡は消滅した。
 予鈴が鳴った。張り詰めた緊張がわずかに緩む。
 ああ、昼食食べそこねてしまった。
 午後の授業の用意を促すそのベルは、余韻を残して消えていく。

「さて、と。余計なものは片付けたし、話の続きでもしようか」

 東藤は短剣を持ったまま振り返る。彼女の髪が、黒いしっぽのようにくるんと揺れた。
 先ほどの光景が未だに離れない俺は、そこから動くこともしゃがむこともできず、突っ立ったまま。
 困ったように彼女は笑う。波打った刀身を撫でながら俺のことを見ている東藤は、暗に「この短剣でいつでも俺を黙らせることができるのだ」と言っているようで、恐ろしく感じた。
 男性と同じように斬られるところを想像すると、ぞっとする。

「君、さっきの男の人見えてたよね」

 ぎこちなく頷く。

「やっぱり。珍しいよ、すごく珍しい!」
 興奮したように頬を染めながら、彼女は胸の前で手を組んで大きな声を上げた。
 未だ彼女の手の中には短剣が握られているので、見ていてとても危なっかしく、不安になる。
 東藤がバランスを崩しこければ、刺され殺されるのかもしれないのだから、不安になるのもあたりまえだと思う。
 刀身は太陽の光を照り返し、美しい銀をよく見せている。男性の黒は先ほど一緒に空に昇っていったのだろう。汚れはどこにも見当たらなかった。
 東藤の方はまだほんのりと頬を赤らめ、綿毛の笑みを浮かべている。
 それじゃあと、彼女は笑みを深めた。

「君は充分鬼破者になれるね」
「きはしゃ?」

 オウム返しに聞けば、彼女は何度も頷いた。黒の髪がしなやかにはねて、踊る。

「鬼を破る者のことだよ。肉眼で見える人って珍しいんだ」
「鬼……?」
「さっきのあれのことだよ。見たでしょう?」

 服の中に氷を入れられたような冷気が一気に流れこんでくる。呼吸がほんの一瞬だけ止まった気がした。
 明らかに生きている「人」だった。少なくとも、俺の目にはそう見えていた。あの人は生きていたんだ。それなのに平然と「あれ」と言い切る目の前の東藤が、俺と同じ人間だとは思えないし、思いたくなかった。鬼とはきっと、今の彼女のことを言うに違いない。
 悠があんなにも楽しそうに嬉しそうに語っていた東藤麗夏の姿と目の前の彼女と、どうも印象が一致しない。
 清らかで清楚で、人魚姫のようだと言ったのは誰だったっけか。

「あれはいちゃいけない存在なの。だから倒さなくちゃいけないんだよ。あんなの、いちゃいけない」
「あの」

 まだなにか話している彼女を遮って、口を挟む。思いの外落ち着いた声色だった。
 どうやらよく聞こえなかったらしく首を傾げ、東藤は聞き返してくる。
 大きく息を吸い込み、それから、一気に、放った。

「どういうことですか、鬼ってなんです、さっきの彼は一体誰なんですか、俺に分かるように説明してくださいよ、いきなり呼び出して刃物出したと思ったらいつの間にかいた男性斬りつけて倒して踏みつけてこちらのことも気にせず鬼破者になれって言いやがるじゃないですか、俺のことなどお構いなしですか、結局なんの話をしたかったんです」

 息が切れるし、肩が上がる。
 なんとか敬語のまま話すことができた。意外と俺は落ち着いているのかもしれない。もしかしたら混乱しきっているだけなのかもしれないが。
 言われている東藤本人はというと、きょとんと目を丸くしてこちらを見つめているだけだった。一気に言われたため、内容がうまく飲み込めていないのだろうか。
 本鈴が鳴った。授業の始まり。
 やばい、サボりになってしまう。早く、教室に戻らなければ。
 完全にチャイムの音が消えた。
 沈黙。口を閉じたままの東藤。
 なんとなく気まずくて、俺も口を開けない。言いたいことは全て言ったから、必要がないともいう。

「ゴメンネ」

 沈黙を破ったのは、東藤だった。

「ちょっと考えなしだったよ。そうだよね、知らないのが普通だもんね。ゴメンネ」

 寂しそうな、凪いだ笑みを見せる。
 はっとさせられた。俺にとって鬼は今まで触れたこともない世界だったが、彼女にとってはどうなのだろう。
 慣れ親しんだ、当たり前の世界だったとしたら。もしかしたら、俺の言葉は彼女を傷つけてしまったのかもしれない。
 彼女は頭に手を伸ばし、結んでいた髪をといた。すとんと、黒の波が落ちる。

「それじゃあ、順番にいきましょうか。なにから話そうかな」
「俺を呼び出した理由から」

 力強くしっかりと、彼女は頷く。

「鬼が君を狙っていたから呼んだの」
「俺を?」
「そう、君を」
「何故俺を」
「それがあれの気持ちで目的だったから」
「あれ、とは」
「鬼だよ、いちゃいけない存在のこと」

 風がふき、木々の枝がこすれあう。さわさわと音が響いた。
 あたりはすっかり静かになっていて、自分たち以外は教室に戻っていったことを悟る。
 周りを気にする余裕があるほど、俺は落ち着いているらしい。

「鬼とは一体」
「何度も言っているけれど、いちゃいけない存在のこと」
「何故いてはいけないんですか」
「もちろん、人に危害を加えるからだよ」
「だから、いちゃいけない」
「そう、全部倒さなきゃいけない」

 先ほどまで感じていた恐怖も、網膜に焼き付いていたあの二つの殺傷沙汰も、段々と彩度をなくし、薄れていく。
 こうやって言葉をかわしているとさっきの出来事は幻想だったのではと思ってしまう。が、彼女が持っている短剣がそれを否定する。
 あの男性がなんだったのか、東藤が何故彼を斬ったのかが分かった。――正確に言えば、彼女の言い分は分かった。

「何故あなたは鬼を倒すんです?」
「私が鬼破者だから」
「だから、倒さなければならないと」
「そう。それは私の義務だから」
「何故、そこまでして……」
「私は鬼破者で、鬼はいちゃいけないからだよ」

 堂々巡り。なにも発展しない会話。同じ問答をくるくると。
 彼女の意見は一貫している。鬼はいてはいけない。だから鬼破者の自分が倒す。
 ひどく単純で中身の無い主張だ。俺の益に張りそうな情報は出てきそうもない。
 思わずため息が漏れ出る。東藤は俺の様子に気づいていないのか話し続ける。

「だからね、君にも鬼破者になって欲しいんだ。鬼が見える目があるんだもの、きっと大丈夫」
「お断りします」

 言葉も、表情も、動きも、空気も、全てが止まった。それからゆっくりと首を傾げる彼女。
 もう一度、一語一句区切って伝えれば、みるみる暗くなっていく東藤の表情に、わずかながら罪悪感を覚える。
 どうしてと、切なそうに眉を寄せて聞いてくる彼女に対して罪の意識を覚えない男はいないだろう。元がいいとこういうときに得をするらしい。

「俺、人殺しにはなりたくありませんから」
「あれは人じゃないよ。いちゃいけない鬼なんだから」
「それでも!」

 大きな声が出てしまい、彼女の肩がはねた。
 少し落ち着こう。大きく息を吐く。
 それに合わせて熱く煮えたぎったなにかが流れ出ていった気がした。

「それでも、俺は見えてるから。見えているから傷つけたくないんです。彼は鬼なんかじゃなかった、鬼なんかいなかった。俺の目に映ったのは人だった。貴女はただの人殺しだ」

 沈黙。
 じっとこちらを見つめてくる東藤と目線を合わせ、見つめ返す。
 やっぱり言葉がきつかっただろうか。でもこれくらいはっきり言わないと引いてくれそうにないのだから仕方ない。また罪悪感が降り積もる。
 風がまたふいた。さっきよりも強い風なのか、ざわざわと大きな音が聞こえる。
 おろされた東藤の髪が大きく広がった。
 枝から離れてしまった若葉が、俺の横を通り過ぎて行く。

「石槻くんの気持ちは、分かった」

 よかった、俺を鬼破者にするのは諦めてくれたようだ。ほっと一安心。ゆるく、口元が上がったのが自覚できた。

「そうだよね、いきなり鬼って言われても困っちゃうよね。でも大丈夫。私が一からゆっくり教えるから」

 予想外の方向に話が転がっていく。

「いや、そういう意味じゃなくって」
「これからはなるべく、君についてまわることにするよ。私の都合もあるから、ずっと一緒にはいられないけれど」
「俺の都合はどうなるんです」
「見える人少ないからね、鬼のこと下手に言いふらしてほしくないんだ。まあ、君が言いふらすとも思えないけれど」
「話聞いてますか」
「その間に鬼破者について説明すればいいし、そこから理解を深めてもらっても遅くない」
「だから俺の話を」
「じゃあまずは、自己紹介から行こうか。私は東藤麗夏。三年、剣道部所属。副部長を任されています。ぜひとも鬼破者になってほしいな」
「俺の話を聞けってば!」

 やっと東藤の言葉が止まった。
 それと同時に俺も一息入れる。息が切れる。
 大丈夫かと聞いてくる東藤に、あなたのせいだと答えれば、困ったような表情をされた。

「鬼破者になんかならないし、気が変わることだってない」
「――と考えていた時期が私にもありました」
「過去形にしないでください!」

 思い切り、大きく長く息を吐きだす。
 自分の都合のいいように解釈する先輩だ。こうも徹底していると怒りを通り越して呆れ、疲れだけが溜まってくる。
 人の話を聞かないこの先輩を、これから相手しなければならないのかと思うと気が重い。
 くすくす。控えめな笑い声が聞こえる。
 東藤は純粋に、俺の反応を楽しんでいるようだ。
 吐き出したはずの疲労感が、舞い戻って溜まりだす。
 額に手を当て空を仰ぎ見てみれば、天気は変わらず抜けるような晴天で。
 誰か、彼女をどうするのが正解なのか教えてくれ。

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