鬼囃子
2
ぱっと目が覚める。
暗い部屋、音も聞こえない時間。
カーテンの隙間からは月光が差し込んでいる。
またあの、胸になにかを詰め込まれたような気持ちに襲われた。
夢を見ていたのかもしれない。多分、学校で見ていた夢と同じ夢。そのせいで起きたのだろう。
一人、納得をする。
枕元においてあったケータイを開く。
ディスプレイの光が目に痛い。
時刻は午前二時ちょっと過ぎ。草木も眠る丑三つ時だ。
もう一度眠ろうと、ベッドの中で目を閉じて、何度も寝返りをうつ。深く息を吸って無心になって、落ち着いて。
眠れない。
諦めて目を開ける。
使っていない勉強机と、床一面に広がっている本やら服やらが視界に入った。
どうせ眠れないのなら、片付けでもしようかな。これはあまりにも汚い。
ベッドから起き上がって、床に足をつける。
春ももうすぐ終わるというのに、布団から出れば肌寒く感じた。
ベッドの近くにあった本を手にとって、本棚の一番上に入れる。そのときだ。
低く響く声を聞いた。
大地が直接発したような声だった。
なんだ、誰の声だ。
意を決して、部屋の窓に張り付いた。
なにが外にいるのか確認するためだ。
青のカーテンを少しだけめくる。
月の光か蛍光灯か、白い光が部屋に差し込む。
外はぼんやりと暗かった。
見つけたのは一人の男性。
スーツをピシっと着こなして、背筋が真っ直ぐ伸びた男性だった。
他に人影はない。多分さっきの声はあの人だ
しばらく男性を観察していると、彼の背後から一人の女性が現れた。
俺とそう年が変わらないように見える。多く見積もって大学生になるかならないかくらいだろう。黒の長い髪を高い位置でひとつに結び、黒のタートルネックに黒のホットパンツ。最後に黒のロングブーツといった全身黒ずくめの女性だった。まるで夜の闇の中に隠れるような、隠れることを目的にしたような格好だった。
少しずつ、彼女は男性と距離を詰める。
男性は背後の女性に気づいていないようだ。
なにをする気なのだろう。よく見ようと俺は目を凝らした。
そして気づいた、彼女の手の中に光るなにかが握られていることに。
不規則に反射する光。波打つ銀の刀身。よく使う、三十センチ定規よりも長そうな、刃。
それが、女性の手の中に。
喉が、ひゅっと鳴った。
彼女の手の中には、歪に曲がりくねった短剣が握られていた。
だから月明かりで光って、俺の目に届いたらしい。
俺は、その刃物から、彼女から目を話すことができなくなった。
ケータイで通報したほうがいいのかもしれない。女性と男性の間に入って、止めたほうがいいのかもしれない。
そう思っていても、カーテンを強く握りしめたまま、俺の体は動いてくれなかった。
女性が一気に跳躍し、男性との距離を詰めた。彼女の黒髪が跳ね踊る。
そして男性の背中を思い切り斬りつけた。
その瞬間、あたりに黒い液体が散らばる。道路や、女性の体にベッタリと付着した。
男性は痛みに悲鳴を上げ、大きく悶える。その間も、男性の体からぽたぽたと流れ続ける黒の水。
カーテンを握っている手の感覚が、なくなってきた。
全身に返り血を浴びているというのに、女性は全く動じていない。
それどころか流れる血を面白がっているかのように、傷口を抑えて呻く男性のことを笑いながら見つめていた。
闇に慣れた俺の目は、ありのままの状況を伝えてくる。
もう一度女性が腕を振り上げた。
そのときうまれた、ごく僅かな隙を突いて、男性はよたよたと逃げ出した。
驚いたように腕を振り上げたまま固まる女性。そしてゆっくりと腕を下げ、男性が逃げていった方向を見つめる。
道路には点々と、男性が残していった黒い黒い道標が。
女性はその点を踏みつけるように堂々と歩いて行く。あの男性を追いかけるつもりだろう。おそらく、とどめを刺すために追いかけるのだ。
が、突然彼女は歩みを止めた。そしてゆるりと振り向き、俺の家を見る。
違う。視線の先がどんどん上がってきている。玄関から出窓、二階の壁をつたい、俺の部屋を見て、視線の上昇はそこでピタリと止まる。
目が、あった。女性と目があった。夜のように、全てを包み隠してしまうような真っ黒な目だった。
驚き、俺は逃げることも隠れることもできなかった。
もしかしたら、このまま殺されてしまうかもしれない。殺人未遂の現場を見てしまったせいで、俺はこのまま死んでしまうのかもしれない。
目をそらせない。糸で結ばれてしまったような、そんな感覚に襲われる。
しばらく見つめ合っていたかと思うと、彼女はふわっと笑った。桜の蕾がほころぶような、優しい笑みだった。
そして彼女はあっさり視線を断ち切ると、歩いて男性を追いかけていった。黒い点を踏みつけて、堂々と立ち去っていく。
道路をうつ足音が闇に響いて、遠ざかっていった。
誰もいなくなった窓の外を見つめたまま、俺は動くことができなくなっていた。
破ってしまうのではと思うくらい、俺の手はカーテンを強く握りしめている。
抑えきれない恐怖。湧き上がる、不安。
ついに足まで震え始め、力が抜けた。壁に背中を預けて、体はずるずると落ちていく。床にしゃがみ込み、自分自身の体を抱え込むように小さく座り込んだ。
あの男性。思い切り、短剣で斬られていた男性。傷は大丈夫だろうか。すごくたくさんの血が出ていたように思える。途中で倒れていたりしなければいいけど。救急車、呼んだほうがよかったかもしれない。
女性がなんで、男性を斬ったんだろう。恨みがあったのか、ただ快楽を得たいためか。俺には、分からない、理解できない。
それより、俺は大丈夫なんだろうか。女性と目があってしまった。見ていたことがバレてしまった。きっと近いうちに殺されてしまうんじゃないだろうか。
「俺、大丈夫なのか……?」
更に小さく小さく、壁に体を押し付け縮こまる。
震えが止まらない。ガタガタとおもちゃみたいに震えている。恐怖からくる寒気が、体を駆け巡る。
きつく目をつぶり、内側に感情を押し込めようと努力するが、後から後から怖くなってきて仕方がない。
俺は、膝の間に頭をうずめて、ただただずっと、不安と恐怖とともに夜を過ごした。
[mokuji]
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