鬼囃子
1
ゆすられる。誰かが肩をゆすっている。
遠くの方から誰かが叫んでいるような、膜一枚隔たれた向こうから聞こえるような、そんなぼやけた声が俺を呼ぶ。
ゆっくりとまぶたを押し上げれば、赤い太陽の光が目に刺さった。
目の前で誘うように紺のネクタイ。
思わずそれを思い切り掴んで、上体を起こした。
カエルが潰れるような声が聞こえる。どうやら相手の喉を思い切り締めてしまったようだ。
まだ眠い目をこすり周りを見る。
教室の一番後ろの一番端。左を見ればすぐに外が見える席が、俺、石槻君尋の席である。
窓から赤く染まった空が、いっぱいに広がっていた。
ホームルームが終わった直後の教室はまだ騒がしく、たくさんの人が残っている。
だが直に、みんな帰っていくんだろう。荷物をまとめて友達と話しながら、帰路につくのだろう。
「ネクタイ! ネクタイ離せって!」
ネクタイの主がパシパシと俺の手を叩く。
彼の名は、小暮悠。俺の数少ない友人だ。
染められた金の髪はフワフワしており、いかにもチャラそうに制服を着崩している。ピアスなどのアクセ類がついていないのが不思議なほどだ。
今はネクタイを握ったままの俺の手を離そうと、必死にもがいている。心なしか顔が赤い。
パッと手を離すと、彼は思い切り咳をして、大きく息を吸い込んだ。
その様子を、あくびを噛み殺しながら眺める。
だいぶ苦しかったようだ。
申し訳ないことをした。
「寝起き悪いな、君尋」
「目の前で揺れるネクタイが悪い」
「猫かよ」
無駄に締まったネクタイをゆるめながら、にやにや笑いとともに悠が言った。
いつも気まぐれなお前のほうが猫っぽいだろ。
その言葉を飲み込んで、窓際に置いてあったカバンを机の上にあげる。教科書やメモ帳などを、机の中からかばんの中に詰め込んでいく。
その間、俺の頭を占めていたのは先程まで見ていた夢についてのこと。
とても、気分の悪いものだった。
ぽかんと胸の中心に穴が開いたような、あるいは無理やり胸になにかを押し込まれたような、居心地の悪い、心が沈んでいくような気持ちになる。
こうやって気分の悪い夢を見るのはよくあることだった。
可愛らしい少女が笑っている夢。
意味もない泣き声が続く夢。
海の満ち干きをただ眺める夢。
映像を思い出せるものもあれば、なにを見たのか全く思い出せないものも多かった。
今回はなにも思い出せない。意味の分からないもやもやが、俺の心の中を渦巻いている。
一体なんだろう。とても大切なことを誰かに伝えたかったはずなのに、思い出せないような、そんな寂しい気持ちでいっぱいだ。
筆箱をカバンに放り込んでチャックを閉じる。荷物は全部移し終わった。
さて帰ろうと、席を立とうとしたときだ。悠の手がさっと、俺のカバンを奪ってしまった。そして素早く俺から離れていく。
「あ、おい!」
「君尋のバッグ、討ち取ったりー」
「カバンは生きてないだろ!」
討ち取った討ち取ったと繰り返しながら、彼は教室を出て行った。
慌てて俺も教室を出る。
廊下の真ん中でにやにやしながら二つのカバンを持っている悠は、ある意味目立っていた。
「俺のカバン返せよ」
目に力を入れながら、凄んで声を出す。
俺たちと同じように帰ろうとしていた生徒が一瞬、怯えたような視線をこちらに向けた。
見世物じゃないという意味を込めて周りもひと睨み。
集まっていた視線が一斉に散った。
「捕まえてみやがれってんだー!」
階段を駆け下りていく悠の声。どんどん遠ざかっていく。
俺は慌てて、彼の後を追いかけた。
背後から聞こえてくる陰口を無視してカバンを返せと叫んだが、悠に届いているのかが分からない。
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