鬼囃子
17
「君尋、かーえろ」
帰りのホームルーム直後、ざわついた教室に悠の声が聞こえた。
角の席から立ち上がり、荷物を手に取る。
空の端には黒い雲。ここ数日雨をふらせ続けていた原因だろう。
ざーざーと音が聞こえるほど激しい雨だったので、やんでよかったと心底思う。
覗く太陽が眩しい。開いている窓からは、湿った土の匂いが流れ込んでくる。
「ああ、帰ろう」
悠と一緒に階段を並んで降りる。
校舎の外にでた瞬間、太陽の光に照らしだされた。目が眩むほどの強い日差し。
もうすぐ、夏がやってくる。
悠の隣にいると、会話は尽きることを知らないらしい。
授業のこと、教科担任のこと、悠が新しく聞いた噂。
もちろん俺から話題をふることだってある。
天気の話、朝見つけた花のこと、夏休みになったらやりたいこと。
本当に会話は止まらない。
校門を抜け、人の流れに乗って坂道を降りていく。冬服の紺色で、坂道は埋まる。女子も男子も同じ色に染まっている。
これが明日の衣替えをすぎれば、白いワイシャツや灰色のベストで溢れかえることになるのか。
たしかに、梅雨のじめじめした空気に、このブレザーは暑いだろう。
確実に時間は過ぎていく。とまってなどくれない。
「お前さあ」
普段とは違う、やわらかな声がかけられる。
周りにあふれる雑多な音が、一瞬にして遠のいた気がした。
「最近表情やさしくなったよな」
意味が分からない。
考えが顔に出ていたのか、彼はくすっと小さく笑みをこぼすと、言葉を続けた。
「よく笑うようになったし、相手の目を見るようになった。四月から比べればすげえ進歩じゃん。今月からすごく柔らかくなって、一緒にいやすいよ。クラスの奴らもさ、お前のこと怖がらなくなったらしいじゃん? 君尋、すごい変わった」
優しい声。柔らかい声。凪いだ声。暖かい声。
そして、寂しい声。
何故か泣いているように聞こえる声だった。
幼子が泣き叫び枯れた声で、それでもまだ必死に叫んでいるような、そんな悲痛な響きを持っている声だった。
「俺はなにも変わってないよ。四月から、なにひとつ変わってない」
隣を自転車二台、駆け抜けていく。楽しそうな笑い声が聞こえたかと思うと、あっという間に遠ざかった。
なにひとつ、ということはないかもしれない。
英と出会って鬼破者になることを決めて、時間の変化とともに確実に心境は変わっている。
でも、俺の根っこが変わったわけじゃない。悠が知っている俺のままのはずだ。
「たしかに俺、必要最低限のことも話さないし、なに考えているか分からないかもけど。だけど、お前が知っている俺だけだよ。悠にそのままの俺を見せているつもりだ。けど、お前に見せている俺と周りに見せている俺は違うかも。俺も、自分がどんな人間なんだか分かんないし。そんなもんだろ、みんな」
坂の上から強い強い追い風が吹く。
咄嗟にきつく目をつぶる。髪が頬にあたった、痛い。
女子の悲鳴に似た叫び声。
それに紛れて、悠の声が聞こえる。
「やっぱり――よ、お前さ」
うまく聞き取れない。
風の音が邪魔だ、なんて言った? 大事な言葉だろうに分からない。
風がやんだ。落ちてきた前髪をかきあげ直す。
隣を見れば、同じようにぐしゃぐしゃになった金髪が目に入った。
わずかに俯いているようにも見えるのだが、俺の気のせいだろうか。
「今、なんて言ったんだ」
「べーつに? 風が強いなって言っただけだぜ?」
静かに悠は笑った。
そうか、なにも聞かれたくないのか。余計なことを言わないよう、口を閉ざす。
園芸部の花壇の前を通り過ぎ、坂を下りきる。二人揃って道なりに歩き続けるだけ。
そのとき、向こうから歩いてくる小さい子供たちの姿が目に入った。
背丈からして、小学生くらいだろうか。その証拠にランドセルの黒や赤の肩紐が見え隠れしている。
五人が楽しそうに笑いながら話しながら、真っ直ぐこちらにやってくる。
なんだかいいな、微笑ましい。
自然と、俺の目線は彼らに向けられる。
と、その中に見覚えのある姿を見つけた。
ぱさついた髪。よてよれのシャツとジーンズを着た枝のように細い体。肌も、雲や雪のように白く、向こう側が透けて見えてしまいそうだ。
そのくせ、浮かべる笑顔は太陽や華のように今を精一杯生きている力強さを感じさせる少年がいる。
ああ、「彼」を生んだ「本体」だ。目頭がじわりと熱を孕んで熱くなる。
彼が――彼らがこちらに向かって歩いてくる。
俺も悠も道なりに進み、足はとめない。
彼らとの距離はどんどん近づき、声もはっきり聞き取れるくらいまでになり、そしてすれ違った。
「ボク今、すっごく幸せ!」
思わず振り返る。
少年は周りの友人にからかわれ、困ったように笑っていた。おおげさだよとか、変なのとか。
それでも、少年は自分の言葉を覆すつもりはないらしい。
そうか。今お前は、幸せなんだ。もう、辛くなくなったんだ。
沸き上がってくる暖かい気持ちと、浮かんでくるかすかな微笑み。
前を向いてまた、歩き始める。
遠ざかっていく彼らの声。俺たちの距離は開いていった。
「なぁに笑ってんだよ、キミちゃん」
「なんでもない」
ウソだぁなんて笑いながら、悠は俺の頬をつついてくる。
やめろと抵抗しても全て無視された。ふにふにーなんて言いながら、しっかり堪能しているようだ。
思わず、ため息が漏れた。
ひとしきりつついて満足したのか、彼の指が離れていく。
横断歩道の赤信号に引っかかった。足を止める。背後に並ぶように人が溜まっていく。
下校時間だから、人が多いのは当たり前か。
と、真後ろに誰かが立った気配がした。
誰だろう。やけに距離が近い気がする。
「君尋くん」
ぽんと肩を叩かれた。聞き慣れた声とその行動に驚き振り返れば、そこには輝かんばかりの笑顔を見せる東藤の姿があった。
嫌な予感がする。隣の悠は名前呼びに反応して、一気に騒がしくなった。
「先に行っちゃうなんてひどいよ。私、一緒に帰りたいって思って待ってたのに」
「はあ、そうですか」
気の抜けた声が漏れる。
心なしか、悠だけではなく周りにいる生徒もざわつきだしたような気がした。
忘れそうになるのだが、彼女は学校では有名人なのだっけ。
信号機が青に変わる。俺ら三人を避けるように、人が流れ歩き出した。
「ごめん小暮くん、君尋くんのこと借りてもいいかな」
「だから、なんで悠に許可を求めるんですか。まずは俺に聞くべきでしょ」
こくこくと悠は何度も頷く。
何故かその行動にいらっときたので、軽く彼の頭を叩いた。
金髪がふわっと舞う。
「ありがとう。それじゃあ、君尋くん借りて行くね」
強引に腕を組まれ、ぐいぐいと引っ張られる。
いつもの商店街とは違うところに行くつもりらしい。横断歩道と悠が遠くなっていく。
悠なんか青になった信号を渡りながら、大きく手を振ってきた。
学校の中でもやっていたが、ここは外だ。彼に幾つもの視線が向けられているのがよく分かる。
とりあえず腕を離してもらって、彼女の隣を並んで歩く。
俺たちにも――東藤にも視線は向けられていた。
彼女にとってはいつも通りなのだろうが、どうも落ち着かない。
ポケットに入っている青い石のタイピンに触れながら、彼女が用件を切り出すのを待つ。
が、彼女はいつまで経っても口を閉ざしたままにこにこと笑うのみで、いっこうに話をしようとしない。
彼女が口を開くのを待っている間、制服のポケットで携帯が鳴る。着信を知らせる簡単な電子音が繰り返し流れた。
東藤に断りを入れて携帯を取り出し開けば、母からの着信だと分かる。
通話ボタンを押して、電話に出た。
「もしもし」
「もし、君尋? ちょっと探しものしてるんだけど手伝ってくれない?」
「今?」
「そう、今」
「外なんだけれど」
「分かってるよ」
「……なに探せばいいの」
「あのね、父さんの形見のタイピンなんだけれど」
たらたらと話されたので詳細は割愛するが、つまりは青い石のはまった銀のタイピンを知らないか、というものだった。
それを聞かれたとき、ポケットの中に入っている例のタイピンを思い出す。
形であったり大きさであったり、母は思い出話とともに説明してくれた。
ちょうどその特徴と、今持っているタイピンの特徴とが当てはまるような気がしたのだ。
「心当たりあるから、家に帰ったら見せる」
「なに、君尋持ってんの?」
「うん、そう、持ってる」
「なんで持ってるの。一生懸命探した母さんの時間返してくれる? 家に帰って真っ先に探したんだよ? どれだけ慌てたと思ってるのか小一時間ほど話してあげようかねえねえねえ」
「分かったから。切るよ」
「家に帰ったら覚悟」
まるで友達とするような会話を強制的に終えて、通話を切る。
母はまだ電話の向こうでなにか言っていたようだが、正直家に帰ってからも聞かされるだろうから途中で打ち切った。
興味深そうにこちらを見てくる東藤をあしらって、それで、と口を開く。
「またデートしましょうとか言うつもりですか」
そう尋ねれば、楽しそうにくすくすと笑いながらよく分かったねと。
冗談のつもりで口にしたのだが、あたってしまったらしい。
「鬼退治のお手伝いお願いしようと思って。鬼破者になる勉強だと思って一緒に行こうよ。ね、お願い」
笑顔を浮かべながらそう言っている彼女は多分、俺が断るとは微塵も考えていないのだろう。
数日前ならいざしらず、今は断るつもりなど毛頭ない。
「いいですよ。その代わり先輩が斬ろうとする鬼、全部かばって邪魔してやります」
「君に邪魔されるほど、私落ちぶれてないつもりなんだけどな」
笑いながら、言葉を交わす。
さて、今日はどこに行くのだろうか。
これから、これからだ。
これから俺の、鬼破者としての物語が始まる。
[mokuji]
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