うさぎは空を飛べない

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鬼囃子

16


 東藤の話が終わってしばらく、俺はなんと言えばいいのか分からず閉口していた。
 重い話を聞くことになるだろうことは覚悟していたはずなのだが、あまりにも坦々とした口調で語られたため、衝撃が大きかったのかもしれない。

「そのとき思ったんだ。絶対に、赦さないって」

 東藤の顔色は悪く、青白くなっているように見える。
 呼吸も時折乱れ、終盤にかけては言葉を探すように声をつまらせるときもあった。
 不意に東藤が胸ポケットからハンカチを取り出し、それを広げて見せてくる。
 元は美しい空色の布であったのだろうが、今はどす黒く汚れ色など把握できなくなっている。縁の糸がところどころ青いため、なんとか判別できたくらいだ。

「よく覚えてないんだけど止血しようとしたみたい。馬鹿だよね、なにもできなかったくせに」

 声を上げて彼女は笑った。力ない笑い声だった。
 俺はハンカチに釘付けだったから東藤の表情なんて分からなかったけど、絶対きれいな笑顔じゃないと確信できる。

「なにを赦さないって思ったのかは、分からない。鬼に対してだったのかもしれないし、自分に対してだったのかもしれない。全部全部ぜんぶ、赦せなかったのかもしれないね」

 丁寧に丁寧にハンカチをたたみ愛おしそうに抱いてから、東藤はそれをポケットにしまった。
 それから大きく――わざとらしく伸びをして、東藤は俺に、笑ってみせる。

「だから私は鬼破者になったの。あれだよ、きっと償いってやつだよ」

 私の話はこれで終わり。
 彼女は一度手を打った。乾いた音が広がる。
 心の中のなにかが、ふらふらと不安定に揺れ始めた。今にも崩れそうなくらい、大きく大きく揺れている。東藤の話で、大きく揺らされた。
 東藤が見た鬼は、たしかに悪いやつに分類されるかもしれない。でもそれだけで、鬼は悪になるのだろうか。英は、悪いやつだったのだろうか。
 家族の愛を求めたら、悪いやつなのだろうか。
 誰かを羨んで妬ましく思ってしまったら、悪いやつなのだろうか。
 そんな悲しいことがあっていいはずがない。
 強い想いは鬼を生む、鬼を生む程の強い想いは、悪いものなのだろうか。
 そんな馬鹿な。そんな馬鹿なこと、あるわけがない。あっていいはずがない。
 強い気持ちがそれだけで悪だなんて、そんな馬鹿なことが。

「やっぱだめだ。俺には分からない」

 漏れでた言葉。
 東藤が首を傾げた。黒い髪が流れ、なびく。

「やっぱり俺には分からないです。鬼は、いてはいけないんですか」
「石槻くん、私の話聞いてたの?」
「もちろん」
「だったら分かるでしょう? 鬼はいちゃいけない。大切な人を傷つける。現に小暮くんだって」
「いけないことなんですか」

 東藤と目線を合わせる。
 信じられないと、彼女の目が言っていた。
 困ったようにまゆはより、まっすぐにこちらを見つめ返してくれない。

「強い気持ちって、いけないことなんですか」
「だって、鬼を生んで」
「鬼を生んでしまうほど親の愛を求めたり、誰かを羨んでしまうのはいけないことなんですか」
「鬼は人を傷つけるから」
「じゃあ先輩は、誰も傷つけたことがないって言うんですね」

 押し黙る東藤。言い返してこない。
 彼女の視線はどんどん下がっていく。徐々に俺の足元に目線が近くなっていく。
 ああ俺、先輩にひどいこと言っているかもしれない。
 そうやって理解しているのに、口は止まらなかった。
 止める気も、なかった。

「先輩は一度も人を傷つけたことがないって言えますか。俺は言えません。悠とふざけあっれいるときにひどいことを言ってしまうし、クラスメイトにもきついこと言ってしまいます。今だって、あなたを傷つけている」
「ちが……っ!」
「違わないでしょ」

 なにかを言いたげに開いた東藤の唇が、音を紡ぐことなく閉じていく。
 それを確認してから、俺は落ち着いて口を開いた。言葉が、あふれる。

「人って、相手のことを日常のように傷つけます。多分、ほとんどの人がそうだと思うんです。それなのに、どうして鬼だけがいてはいけないなんて言うんでしょう。俺らとなにも変わらない――違うな。俺らよりずっと素直な鬼たちが何故、いてはいけないんでしょう」
「だからそれは、あれらはひどいことするから、だから――」

 静かになった。
 遠くから車のエンジン音が通りすぎていくような音が聞こえた気がした。
 なにも言わなくなってしまった彼女のつむじを見つめたまま、時間がすぎる。時間だけが、過ぎる。
 キミ兄ちゃんは、ボクのヒーローだから。英はそう言ってくれた。
 こんな俺でもヒーローと呼ばれていいのだろうか。お前を消してしまったのに、ヒーローでいていいのかな。彼はまだ、俺のことをヒーローと呼んでくれるだろうか。
 もし、まだ呼んでもらえるというのなら。俺は、その呼称に恥じない自分になっていたい。
 英が胸を張って、ボクのヒーローはこんなにすごいんだって言ってもらえるような人になっていたい。
 だったら、答えは一つしかないよな。
 ふわっと、温かい気持ちが胸の中を満たす。

「俺、鬼破者になります」

 でてきた声は意外にも穏やかで柔らかかった。嘘偽りない、心からの言葉。
 信じられないと言いたげに、彼女の顔が跳ね上がる。
 遠慮ない視線をぶつけられ、居心地が悪くなる。

「やっぱり俺には、鬼が悪いものだとは思えません。だから、あなたのような人に殺されるのを見ているだけなんて、そんなことできない。彼らの力になりたいんです。英が俺を見て、ボクのヒーローなんだよって言ってもらえるような、誇ってもらえるような人物でいたい」

 ただの人だった俺が、英を消したなんて辛すぎるから。
 鬼破者になれば、お前を消した理由にならないだろうか。
 これからもずっと鬼の力になっていけば、お前も鬼だったから消したんだって、言えるようになるのではないか。
 もちろんそれは、俺の自己満足かもしれないけれど。満たされるのは俺だけかもしれないけれど。
 英だけを消したならそれはただの罪かもしれないけれど、それ以外の鬼にも手を差し伸べていったのならばきっと――。

「鬼を消す方法は、浄化と昇華の二種類があるの」

 いきなりなんの話だろうか。
 脈絡もなく東藤は口を開く。
 俺の頭が切り替わっていないだけなのかもしれない。

「私は浄化。無理やり鬼を生んだ人に返す方法。原因の根本が解決していないからしばらく経てばまた同じ鬼が生まれてくる可能性があるんだけど、ものすごく簡単な方法だから大抵の鬼破者はそちらを選ぶの」

 断末魔と、黒い粒子。
 東藤が消す鬼はみな、一様に苦しそうだったのを思い出す。
 最初に殺されたあの男性なんてとても顕著にその特徴を表していると思う。
 制服のポケットには未だにあの男性が残したタイピンが入っている。手を入れて、石の冷たさを指先に感じた。
 なんの話をしたいのか理解できないまま、とりあえず頷く。

「君がやったのは昇華。鬼が生まれた理由を解決して、その存在を完全に消し、生んだ人の元へと返す方法。これは鬼が生まれた理由をなくすから、同じ鬼は二度と現れない。だけど鬼それぞれが抱えている問題は違うわけだから、決まった方法があるわけじゃない。毎度毎度手探り状態。故に面倒。この方法を選ぶ人は少数ね」

 穏やかな笑顔、白い粒子。
 英はとても優しい顔をしていて、思い出すだけで泣きそうになってしまう。
 彼のことを思い浮かべるだけでも、切なくて苦しくて、寂しくなる。

「浄化だけでは鬼は減らない。むしろ、増えていく一方。だから君みたいなやり方ができるの、少し羨ましい。私には絶対できないから。――ううん、やろうとなんて思えない。あいつらは憎い」

 東藤の手が、きつく握りこまれた。白くなり、力が込められているのがすぐに分かる。
 彼女は鬼を憎んでいる。だから鬼たちの悩みを解決するのは納得がいかないのかもしれない。
 勝手に悩んでいればいい。勝手に困っていればいい。だってそれらは友人を傷つけて、一生を台無しにしたのだから。手助けなどしたくない。片っ端から殺して殺して、存在を消していく。
 それ以外、彼女は選びたくないのかもしれない。――それしか、方法を選べないのかもしれない。
 だけど、それでは鬼は消えない。ほんの少しの期間姿を見せなくなるだけだ。
 まるでイタチごっこのよう、さぞかしいらいらするだろう。
 殺すことで鬼はいなくならない。彼らを思う行動でしか、鬼は消え去ることはない。
 鬼なんて誰が言い始めたのだろうか。人間となに一つとして変わりがないじゃないか。

「俺は鬼破者になりますよ。誰になにを言われても、なってみせます」

 東藤が笑った。あの、桜がほころぶ笑み。
 それと同時に、目元から一筋の涙がこぼれ落ちる。過去を語ったときの、名残のものだ。

「最初はあんなに嫌がっていたくせに」
「本当に。人ってちょっとしたことで変わるんですよ、きっと」

 二人して小さく笑い合う。
 なにか、秘密をつくったみたいだと思った。
 誰も知らない、小さな小さな秘密。

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