鬼囃子
13
制服に身を包み、学校への道を行く。
周りはがやがやと、同じ学校の生徒達の話し声でうるさかった。
この時間に登校する人が多いから、必然的にうるさくなるのだろう。
英が消えてからはや一週間。あの日から平穏な日々が続いている。
東藤が俺につきまとうことも、別の鬼に逢うこともなかった。
彼女と出会う前に全てが巻き戻ったような感覚を覚える。
俺の毎日って、こんなに静かだったっけ。もっと騒がしく、慌ただしい物じゃなかったっけ。
そんなことも思い出せないくらい、彼女とずっと一緒にいたということなのだろうか。
あ、あそこのあじさい、もう咲き始めている。
坂の入り口で堂々と大きな葉を茂らせているあじさいは、赤紫の華やかな花弁を魅せていた。
園芸部の花壇の中で、それはひときわ目立っている。
自然と、花の前で足が止まる。
季節は巡っていく。時間は、待ってくれないんだ。
柄にもなくそんなことを思ってしまった。感傷的になっているのかもしれない。
どん、と誰かに背中を押されよろめく。危うくあじさいに向かってダイブするところだった。
体勢を整えて、花を潰してないことを確認してから振り返る。
そこには、悠がいた。太陽に透ける金の髪。犬歯をむき出しにして笑いながら、彼はこちらを見ている。
「はよ。雰囲気暗いけど、麗夏先輩となんかあったのか」
「だから違うって、先輩出してくんな。そっちこそどうなんだよ、病院で検査してきたんだろう?」
俺があのとき、公園で咄嗟に言ったことを真に受けて、悠は貧血の検査をするため病院に行って採血をしてきたらしい。
検査の結果が分かるのは約一週間後だったらしく、彼は昨日、採血の結果を聴きに行ってきたのだ。
悠は満面の笑みを浮かべて、Vサインをした。
「おう、全く異常なし! 健康そのものだってよ」
それはそうだろう。
でかかった言葉を飲み込む。
良かったじゃないかと言えば、大きく彼は頷いた。
いつまでも花壇の前に立っているわけにもいかず、俺たちは坂を登り始めた。
歩くスピードが遅いのか、何人もの生徒に抜かされていく。
「なあ、君尋」
先ほど、東藤の名前を出したときとは違う、落ち着いた波のような声だった。
こんな声も出せるのか。初めて聞いた彼の声色に驚き、返事を忘れてしまう。
そんなこと気にしていないのか、悠は話を続ける。
「なにがあったんだーとか、様子が変だから心配だーとか、オレ、そういう詮索って好きじゃないんだ」
「……それが?」
「だからさ」
足が止まった悠に合わせて、俺も歩みを止める。
彼はまっすぐに坂の上を見つめたまま、横にいる俺などに見向きもしないまま、言った。
「無理になる前に吐き出してくれよな。伝えてくれなきゃ、助けらんねぇ」
淡々と、坦々と。いつもの明るくおちゃらけた声じゃない。こんなの、悠の声だとは思えなかった。
笑って適当にあしらいたいのに、口が、頬が、凍りついたように動かない。
それは何故だ。自覚があるからなのか。悠が言ったことが、的を射ているからなのか。だから俺が口を開けないとでも? まさか。ごまかさなければ。なにを言っているんだと、笑い飛ばさなければ。彼は……悠はなにも知らなくていいのだから。わざわざ巻き込む必要など、どこにもないんだから。鬼だとか鬼破者だとか、そんなのとは関わらなくていいんだから。ほら、早く。早くごまかせ。なにを言っているんだと、悠を笑ってやるんだ。ほら、早く!
「悪い、そんなに気にすんな」
歪んだ笑顔を浮かべながら、悠はつぶやいた。
早く行こうぜ。
言うが早いか、悠は俺の返事を聞く前に歩き出した。
置いていかれないように、慌てて俺も坂を登り初める。
無言のまま、俺たちは坂を登り続ける。周りの人をぐんぐん、ぐんぐん追い抜かしていく。
俺たちを抜いていった幾人かも抜かした。歩くペースが、早くなっているようだ。
気まずい。重い空気が肩にのしかかり、潰されてしまいそうだ。
何故、こんなに居心地が悪いと感じてしまうのだろうか。彼の隣はひだまりのように暖かくて、気に入っているのだが。
それなのに、なんで逃げ出したいなどと考えてしまうんだろう。
そうか、周りの生徒は楽しそうに話しているから。だからこんなに居心地が悪くなってしまうんだ。そうに違いない。でなければ、悠の隣が苦しいなんて、あるわけない。
校門をくぐり校舎に入り、階段を上がって四階へ。目的の階について、廊下にでる。
「じゃ、また放課後なー」
何事もなかったかのように悠は笑って、廊下を右に曲がり遠ざかっていく。
俺はそれを見送ってから廊下を真っ直ぐ進んで、突き当りにある教室に入った。
中はすでに騒がしく、楽しそうな雰囲気だった。
そういえば、もうすぐホームルームが始まる時間だ。だからこんなに人が多いのか。
席の上にカバンを置いてふと視線をあげると、黒板に貼ってあったプリントが目に入る。衣替えのお知らせだそうだ。見出しにはそう書いてあった。
そうか、もうそんな時期なんだ。六月に入ったら梅雨になって、それが明けたら夏になる。時間は少しも待ってくれない。
椅子を引いて席についたとき、担任が教室に入ってきた。遅刻ぎりぎりだったらしい。
先生が教卓につき、衣替えのことを詳しく話している間、俺の頭の中はあの少年のことと、それを倒すものについてで埋め尽くされた。
英は消えた。あの公園に行っても、会うことはかなわない。彼を滅したのは誰だ?
俺だ。鬼破者でもなんでもない、ただの石槻君尋が消し去った。
白い粒になって、どんどん空に昇っていく小さな体。
その映像が頭のなかで繰り返し流れ、俺を苦しめる。
ぼやけていたハルジオンのピントがあうように、色が濃くなっていく花びら。
抱きとめた英の小さな体は骨ばっていた。
熱が、分からなくなった。低体温だっけ、子供体温だったっけ。
触れている感覚が分からなくなった。肌は荒れていたっけ、すべすべだったっけ。
彼の存在が分からなくなった。どんな表情だっけ。笑っていたっけ。泣いていたっけ。
俺は何故、英を消したんだ。ただ、彼の悩みを聞いて、手を差し出したかっただけなのに。彼の苦しみ悲しみ、痛みを、少し分けて欲しかっただけなのに。
「キミ兄ちゃんは、ボクのヒーローだから」
お前を消して、なにがヒーローだ。俺はなにも守れていない。守れた気がしない。この手で壊してしまったのに。
友人を消した俺がヒーローと呼ばれるなどと、そんなこと、あっていいはずがない。守ってこそ――護ってこそのヒーローだろう?
楽しそうに笑っている英の声が、脳裏をよぎる。
これからはもう、聞くことができない声だ。無邪気に話すあの様子も、見ることはできない。
ホームルームが終わり、教室を担任が出て行った。途端に生徒たちは騒がしくなる。待ってましたと言わんばかりに席を立ち、思い思いの行動をしている。
ああ、授業の用意をしなくては。
気持ちはどんどん落ちていき、動きはますます緩慢になる。
「石槻くん、大丈夫?」
横を通った一人の少女が、声をかけてきた。
眉を下げ、心配していますというのがありありと分かる声と表情だ。
大丈夫だと短く答え、僅かに頬を上げて笑ってみる。
「本当に駄目だったら、ちゃんと言ってね。一応私、保健委員だから」
それだけ言って、彼女は次の授業に必要なものを持って、教室を出て行った。
ふと唐突に、東藤のことが頭をよぎる。
彼女は何故、鬼破者になったのだろうか。あそこまで鬼を憎むなんて、きっと普通のことじゃない。
俺も鬼を憎むことができるだろうか。
そうなればいい。そうならなければならない。
英の笑い声が頭の中で響く。エコーがかかり、よく聞き取れない。
あいつ、どんな声で笑っていたっけ。声は高かった気がする。違う、低く男らしい声だったかもしれない。
悠を突き飛ばしたのは、英だっけ、鬼だったっけ。
空はとてつもなく青く晴れていて、怖いほどだ。向こう側にわずかに見える黒い雲が、紙切れのように見えた。
授業開始のチャイムが、学校中に響き渡った。
[mokuji]
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