鬼囃子
10
公園で英と鬼ごっこをしてから、もう一週間が経とうとしている。
悠は、俺と東藤が本当に付き合っていないのか、日曜日はなにをしていたのか、東藤のことをどう思っていうるのかなどを、毎日のように訪ねてくる。
付き合っていない、ただの散歩だ、彼女は先輩だと同じことを繰り返し言うのも疲れてきた。
放課後、行き先を告げず先に帰ることがあるから、それで勘ぐっているらしい。
公園で最近知り合った少年と遊んでいると告げるのは、妙に恥ずかしいから言いたくない。
現在は放課後。
目の前にある黒板に、落書きをしながら笑っている少女たち。男子も教室の隅でゲーム機を持ち寄り、通信をして遊んでいる。
その反対側の教室の隅で、俺は悠に捕まっていた。
「だってさあ、怪しいじゃん」
俺が逃げないようにか机に片手を置き、椅子の横に立つ悠。
夕日に照らされた金髪が、ふわっと揺れた。
「怪しいことなんか、なにもないだろ」
「じゃあ、日曜日麗夏先輩となにしてたんだよ」
言葉と同時にずいっと、悠の顔が近づいてきた。鼻と鼻が触れてしまいそうだ。
驚いて慌てて体を引く。背中に冷たい壁が当たった。
またこの質問か。
呆れながら、左耳の裏を撫でる。
「……散歩だよ」
「嘘だ、今嘘ついた」
思わず、悠から視線を逸らした。
確かに本当のことではないかもしれないが、嘘ってわけでもない。ただ目的のある散歩だっただけで。
窓の外が目に入った。
立派な桜の木が立ち並んでいる。入学式のときは淡い桃色の花を咲かせていたのに、青々と力強い若葉がついている。
春はもうすぐ終わるらしい。しみじみそう思う。
「君尋、結局どうなんだよ」
悠の方に向いていた右耳を思い切り引っ張られて意識が戻ってくる。
痛い、ひりひりする。
幸い、すぐに手を離してもらえたが、痛みのせいで耳が熱くて仕方ない。
密かに、ため息を付いた。
ふと教室の入り口に視線を向けたとき、長い黒髪を揺らした女子生徒が見えた。
まさかと、嫌な予感がよぎる。
「石槻くん、いるかな」
予感的中。東藤だった。
彼女の声に反応したのか悠も振り返り、東藤の姿を見つけたようだ。麗夏先輩だと、つぶやきが聞こえた。
わざわざ言わなくても分かってる。
気分が落ちていくのが嫌でも分かった。
机に突っ伏して無視しよう。俺は知らない、なにも聞こえません。
「ここにいますよー!」
俺の手を掴んで悠が彼女に返事をする。
そして、そのまま引っ張られた。
引きずられるように席から離れ、つまづきそうになりながら歩く。
悠に文句を言っても聞く耳なし。
最後には俺の両肩に手をおき、東藤に差し出すように押し出された。
「はい、どうぞ。ご要望の君尋です」
「ありがとう。えっと……小暮くん、だよね」
「はい! 覚えててくてれめっさ嬉しいです!」
悠の声が弾んでいる。
後ろにいるため見れないのだが、恐らく笑っているんだろう。
彼女も、うっすらと笑っていた。
なんとなく場の空気が和んだ気がした。
「石槻くんを借りたいんだけど、いいかな?」
「もちろんですとも! こんなのでよければいくらでも」
「こんなのってどういうことだ」
振り返って反論する。
想像通り、悠は笑っていた。口角がしっかり上がっている。
俺の言葉は無視された挙句、頭を掴まれて東藤の方に無理やり視線を戻された。
首、痛い。
「よかった、じゃあ借りて行くね」
「本人の意志は無視ですか」
「どうぞどうぞ、もらってやってください」
「うん、ありがとう。彼のこと、ちゃんと大切にする」
「末永く、幸せになってくださいね」
「もちろんだよ。石槻くんは私が、責任持って幸せにするね」
「なんだよこの会話……」
くすくす笑う二人に挟まれて、ものすごく居心地が悪い。
視線を彷徨わせれば、ゲームで通信をしていた幾人かの男子と目があった。
が、すぐにそらされる。
慣れていても、少しだけ寂しく思えた。
ついていかないということもできたのだが、わざわざ逆らうのも面倒で、おとなしく自分の席に置いてあるカバンを持って、二人のところに戻る。
「それじゃあ、借りて行くね」
「どうぞどうぞ、返却期限はありませんから安心してくださいね」
何故、当事者の俺は蚊帳の外なんだろう。
意識して、深く長く息を吐きだした。
教室を出て、廊下を歩き始めたとき、後ろから悠の声が追いかけてくる。
「結婚式は呼んでくださいねー!」
「え……?」
小さく。東藤の声が聞こえた。思わず漏れてしまったような、そんな声だった。
だが彼女はすぐにくるりと振り返り、もちろんだよと笑いながら返事をした。
そんなにはっきり言わなくてもいいじゃないか。
慌てて止めようとしたけれど、やめた。
これを見た悠が「キミちゃんったら照れちゃって〜」と、からかってくるのが簡単に想像できたからだ。
下手に反応するのが一番厄介なのだと、ここ数日で俺も学んだのだ。
校門を出ても、彼女は未だに楽しそうに笑っている。
それ自体は結構なのだが、悠のあの言葉で笑っているのかと思うと、ちょっと複雑な気分だ。
「いつまで笑ってるんですか」
「だって、彼ってば面白いんだもの」
「確かに、悠は面白いやつかもしれないけど」
「ユウ……ああ、小暮くん。ああいうセンスって、大事だと思うんだ」
「だから悪ノリをしたと」
「そう。楽しかったでしょ?」
「まっーーったく!」
言い切れば、彼女はおかしそうに声を出して笑った。
口元に手を当てて、笑いを抑えようとしているみたいだが、残念ながらこらえきれていない。
終いには、石槻くんも面白いねなんて言われてしまった。
心外だ。憤慨だ。嬉しくない。
面白いって人を選ぶ言葉のようだ。今、身を持って知った。
東藤とともに学校前の坂道を下る。春は美しい桜並木になる道だ。
笑い続ける東藤と、投げやり気味な俺。
園芸部が世話をしている花壇を、通り過ぎた。
「で、用事はなんですか。あるんですよね」
「もちろん。制服デート、しましょ?」
全力で走り去り、転校して遠くに行きたい気分になった。
思わず俺は足を止め、空を仰ぎ見る。
ああ、なんにもない。真っ青な空。
俺の隣で彼女はまたくすくすと笑い出した。
[mokuji]
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