鬼囃子
8
早朝の学校。ひとけがない。水を打ったように静かで、階段を登る俺の足音がまわりに反響していく。
いつもより早く目が覚めてしまったため、こんな時間に登校した。
階の廊下を歩いて行く。どの教室にも、まだ人は来ていない。どうやら一番乗りのようだ。
いつも他の人がいる気配や笑い声、足音などが満ち溢れているため、これだけ静かだと不安になってくる。
教室に入り、席の上にカバンを置いてから、窓を開けた。
風が吹き抜ける。涼しい。
一息ついて、カバンの中身を机の中に移し始める。
その間頭の中に浮かんでくるのは、昨日出会った一人の少年の姿。
骨と皮だけで出来ていそうなほど、痩せていた体。
何故あそこまで細かったのだろう。両親はなにも食べさせていないのだろうか。
もしかして、体型のことでまわりにいじめられていたりするのかもしれない。
いやまさか。そんなくだらないことで人を攻撃するなんて……。
ありうるだけに恐ろしい。人間は自分と違うものを無意識に排除しようとするらしい。
子どもは、それが一層顕著に現れるから、残酷だ。
いじめと決まったわけではないけれど、そうとしか考えられない。他になにか、可能性はあるだろうか。
「君尋発見!」
突然飛んできた声に驚き、顔を上げる。そこには悠の姿が。
いつの間にか周りには幾人かのクラスメイトがいた。
時計を見れば、そろそろみんながやってくる時間だった。
考えに没頭していて、周囲の変化に気づかなかったようだ。
「おはよう。どうしたんだ、大きな声出して」
「どうしたんだ、じゃないだろ! なんだよ麗夏先輩と日曜日デートするなんて聞いてないぞ、詳しくオレに言うこと!」
あまりにも大きな声に視線がこちらに集まってきた。
好奇に満ちた目、迷惑そうな目、なにが起こったのかときょとんとしている目、目、目――。
その全てに共通しているのが、刺すように遠慮がなく、痛くて仕方ないということだ。
注目の的だよ。
おちゃらけてつぶやけば、そんなのどうでもいいと切り捨てられた。
「デートなんてものじゃなかったぞ」
「じゃあなんだよ、なんだって言うんだよ。あちこち歩きまわって喫茶店入ってお話することをデートと言わずしてなんというか!」
「……散歩?」
「贅沢者めがぁ!」
俺の机をばんばんと叩きながら悠は叫ぶ。空気がびりびりと振動した。
一体どうすればいいのだろうか、対処に困る。
遠巻きにこちらを見てくる人の視線を感じて、ものすごく居心地が悪い。
しかも悠が東藤の名前を出したことによって、周りが騒がしくなっていく。
どうやら悠の言っていた通り、東藤は有名人だったようだ。
話がどんどん大きくなっているように感じるのは、気のせいだろうか。
ひそひそと聞こえてくるものを総括すると「あの態度が怖い人と東藤先輩が付き合っているかもしれない」ということになっていた。
逃げたい。どうするんだよ、これ。
クラスがまた一段とうるさくなった。ほとんどのクラスメイトが登校してきたこともあるだろうが、どうやらそれだけではないらしい。
「石槻くん、いるかな」
風が囁くような声が聞こえた。東藤だ。
タイミングがいいのか悪いのか。確実に悪い方か。
悠は女神様ご本人登場とかわけの分からないことを言いながら、怪しい動きをしている。頭を抱えて残念がっているような、だけれどとても楽しそうに笑っているような、はっきり判断できない態度だ。
「石槻君尋はここにいません。俺は空気です、存在しません」
口の中でつぶやいて机に突っ伏す。
周りの音が遠くなった気がした。
廊下のあたりには未だ彼女がいるらしく、教室内は落ち着かない。
俺の平穏のために、早く戻ってはくれないだろうか。
「昼休み、もう一度来るから!」
それだけ言うと、軽い足音が走り去っていく。
どうやら諦めて、クラスに戻ったらしい。
昼休みなんか、ずっと来なければいいのに。なんの用か知らないが、絶対に俺の利益になるとは思えない。
時間が経過しない、なんてことはあり得なくて。
気がつけば四時間目も終わり昼休み。
宣言通りにクラスの入り口には東藤が現れた。
無論俺は無視して昼食を取ろうとしたのだが、一緒にいた悠につかまり、無理やり東藤のところまで連れて行かれる。
彼女は俺の友人ににこりと微笑みかけた。
「ありがとう。えっと……」
「小暮です。小暮悠」
「あ、うん。ありがとう、小暮くん」
「もう、感激……! 君尋をよろしくっす」
「よく分からないけど、引き受けた」
「よく分からないのに引き受けないでくださいよ……」
――そんな感じで悠に売られた俺は、中庭にあるベンチに腰掛けていた。
四つの塔に囲まれたこの空間の中心には、大きく立派な一本の木が、堂々と葉を広げている。
その木を囲うようにツツジの生け垣はあり、鮮やかな花が空気を和ませているようだ。
また、空いた空間にはぽつぽつとベンチが点在している。
まばらにあるベンチのうちの一つに腰掛け、隣では東藤が黒の弁当を広げて食事中。美味しそうな卵焼きが見える。
こんなことをしているから、付き合っているなどとくだらない噂が流れるのだろうか。
目の前を通り過ぎて行く生徒らが、驚いたようにこちらを見たり指さして、小声でなにかを話したり。
先ほどからこんなことばかりだ。
何度も似たような反応をされれば、嫌でも慣れてくる。
やはり、東藤麗夏の隣というのは目立つもののようだ。
「で? あなたは俺に嫌がらせをするために呼び出したわけじゃありませんよね」
「うん、用事あるよ。伝えておかなきゃいけないことがあってね。でも急に呼び出してゴメンネ」
弁当箱を片付け、両手を合わせてご馳走様と。
それからわずかに体を俺の方に向けた。
風がふき、東藤の髪が揺れる。
俺達の前を、バスケットボールを持った数人の男子たちが通りすぎた。
「最近、また新しい鬼が生まれたみたいなの。君は見えるから、特に気をつけなきゃって思ってね」
「生まれただけで、わざわざ?」
「それだけだったらなにも言わないよ。すでに被害を受けた人がいるの。襲われて、怪我をした人が出てるんだ。だから、気をつけてって」
「特徴は? どんな鬼なんですか」
「私もちらっとしか見てないけれど……。男の子。小学生くらいの小さい子だったよ。少年って感じの」
少年と言われて、まっさきに英の姿が浮かんだ。
あめを口に放り込んで、にっこりと微笑んだ、あの顔が。
いや、まさか。英が鬼だとか、そんなはずはない。公園で泣いているような、ただの子どもだ。
それに、あれだけきれいに笑って、精一杯泣くようなまっさらな子だった。
鬼だなんて、そんなはずはない。今まで見てきた鬼と印象が合わない。
どうしたのかと、東藤が声をかけてきた。
急に俺が黙りこんだから不審に思ったのだろう。
なんでもないと首を振り、話を続けてくれと伝える。
不思議そうに東藤は首を傾げたものの、また、口を開いた。
どこからか、すずめが足元に飛んでくる。
「すごく痩せてた。かわいそうなくらいに。なのに、大人を突き飛ばすくらい力が強かったの。それから、足も速かったな。クリスも出す暇なく、あっという間に逃げちゃったし。この程度しか教えられなくて、ゴメンネ」
「そうですか、分かりました」
言いたかったのはそれだけ。
弁当箱を持って、彼女は立ち上がった。
「本当に気をつけて。君は色んなところに首を突っ込みそうだから」
返事をする前に、東藤はとっとと校舎に戻ってしまった。
すずめが飛んでいく。前をバスケットボールを持った男子たちが通り過ぎていった。先ほどよりも制服は乱れ、汗をかいている。
「今から昼食食べて、間に合うかな」
予鈴が鳴った。
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