うさぎは空を飛べない

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鬼囃子

6


 有名コーヒーチェーン店に入り、少し休憩することになった。
 窓際のカウンター席に座る。
 右隣りにはスーツを着た二人組の男性が、楽しそうに話している。
 店内には落ち着いたピアノ音楽が流れていて、他の客の話し声はあまり耳に届かない。
 東藤はミルフィーユを頬張って嬉しそうに笑っている。
 先ほどの鬼退治を見なければ、可愛らしく、どこにでもいる女子に見えただろう。
 アイスコーヒーの中にガムシロップを三つ開けて中に注ぎ込む。透明な色の筋が溶け込んだ。
 軽くストローで混ぜて一口。もう一つ入れても問題なかったかもしれない。
 ここに来るまでに、東藤は五人の鬼を殺してきた。
 中学生ぐらいのメガネ男子。エプロンをつけた主婦。猫や鳥などの動物もいた。
 東藤はためらいなくその鬼らを斬りつけるし、溢れ出る黒がその身を染めても全く動じなかった。
 周りに鬼が見えていないことをよく心得ているのか、その後も自然にごまかしていた。

「さて。鬼がなにかって話、途中だったよね」

 フォークを皿の脇に置いてから、東藤は口を開いた。
 すでにミルフィーユは半分ほどの大きさになっている。

「さっき君が言ってた鬼の中では、負のエネルギーを糧にして復讐ってやつだね。それが一番近い。鬼は、人の強い感情や想いから生まれているの」
「強い、感情」
「うん、そう。例えば、そうだな」

 透明なグラスに入ってるアイスティーを東藤はストローに口をつけ、吸い上げた。氷が、音を立てる。

「例えば誰かが足が速くなりたいと願ったとする。強く願えば鬼が生まれる。それだけならまだいいんだ。問題はそこじゃない。厄介なのは、その後」

 唇が乾き、俺もアイスコーヒーに口をつける。
 まるで水のように感じた。

「鬼を生んだその人が自分よりも速い人を妬んだり、速くなるために手段を選ばなくなったりすると、鬼も同じように変化する。逆もしかりだ。鬼と生んだ人はつながっているの。手段を選ばなくなった鬼は、足が速い人を襲い始める。自分よりも速い人がいなくなれば、一番早いのは自然と」
「自分になるから」
「そういうこと」

 ミルフィーユを一口。嬉しそうに彼女は笑った。
 たった今、東藤から聞かされた言葉を頭の中で繰り返し、内容を整理する。
 一つ、鬼は人の強い感情から生まれる。
 一つ、鬼と、鬼を生んだ人物には繋がりが存在する。もしかしたら感情や記憶の共有もあるかもしれない。
 一つ、鬼を生んだ人物の考えが変われば、鬼の考えや行動も変化する。逆も起こりえる。
 大体、こんな感じだろうか。具体的な情報がやっと手に入った。

「なにか質問はある?」
「一つだけ」

 隣に座っていたスーツの男性客たちが、トレイを持って席を立った。

「猫とか鳥とか動物の鬼がいましたけれど、ああいう動物も鬼を生めるってことですか」
「ううん。あれを生んだのも人間だよ。強い想いが具現化した結果、ああいう形をとったんだと思う」

 一つ、鬼の見た目が人間と同じだとは限らない。
 出そうになったため息を飲み込む。
 どうやら鬼とやらは、なんでもありのようだ。
 隣から、ごちそうさまと聞こえてきた。いつの間にか東藤は、ミルフィーユを食べきっていたようだ。
 皿はとても綺麗で、丁寧に食べていたことがうかがえる。

「じゃあ、その剣は? 目立つはずなのに、誰も反応しなかったのは何故でしょう」
 彼女はくすくす笑うと、「質問は一つじゃなかったの?」といたずらっぽく聞いてきた。
 その言葉になんとなく居心地悪く感じるが、東藤は気にした様子もなく話し始めた。

「これもある意味鬼と一緒だからかな。私のとある感情を抜き出して形にしたものなんだよ。だから、見える人にしか見えないの」

 俺と東藤のカップの間に、彼女がなにかを置いた。
 異様に波打った刀身、片方の刃に刻まれた紋様。彼女が鬼を殺すときに使用する、短剣だった。
 一気に殺伐とした雰囲気になる。
 後ろから、控えめに笑う女子高生の声が聞こえた気がした。
 愛おしそうに刃をなでた東藤の指には、傷ひとつついていない。

「鬼を倒すのに鬼を使って……って、ことなのか。おかしくないですか、矛盾している」
「うん、矛盾している。でもこれが、一番簡単で確実なんだ。感情と向き合えるのは理性じゃない、感情なんだよ」

 会話が、途切れた。静かになる。
 流れていた音楽が耳に入るようになった。
 気がつけば曲が変わっている。柔らかく跳ねるようなあたたかい音。木琴、だろうか。

「私の願いはね、このクリスが砕け散ることなの。そのとききっと、私の中の鬼が消えるから」

 私はやっと、人間に戻れる。
 波打った刃が、煌めいた。
 クリスとは、その短剣に名付けた名前なのだろうか。それとも、短剣の種類の名称なのだろうか。クリス、と自分の中で繰り返し、頭に刻みつけた。
 彼女がなにを思いなにを考えているのか、全く分からない。どうして鬼を倒すことにたいして、頑ななまでに執着するのかも分からない。
 東藤自身にとって意味があったとしても、俺にはなにも、理解できなかった。
 からん。アイスティーの氷が溶けて、音を立てた。
 想像しかできないのがとても歯がゆく思う。他人と自分との境界は曖昧で、こんなにはっきりしているものなんだ。

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