Promise
「明るい未来への第一歩を、刻むとするか」
薄暗い。外は完全に太陽が落ちたのだろう。薄ぼんやりとした輪郭しか、捉えることができない。一歩踏み出す度に響く足音。勇者はそれが自分の足音だと分かっていても、ひやりと背筋が凍る感覚を覚えた。
「もう、ここまで来たんですね……」
腰に剣を挿した騎士が、呟いた。騎士の輝くような赤い髪が、暗闇の中でもしっかり見て取れる。まるでその髪は光を吸収し、自ら輝いているようだ。
「もう、じゃない。まだ、ここまで」
静かな声で言い切ったのは、射手の少女。新緑の、深い森を思わせるようなその瞳は真っ直ぐと前を見据え、穏やかに凪いでいる。
二人とも、確かな足取りだ。勇者はそれを確認すると、大きく息を吐いた。
日が落ちて既に暗い廊下。宝玉と宝剣を求めて、世界中を歩き飛び回ったことが昨日のことのように思い出される。秘境や魔境をくぐり抜け、時には己の命や仲間の命を懸け、そして、自分の信念にかけて行動してきた、あの日々を。勇者の手は、自然と自身の腰に付けられた二振りの剣に触れる。
漆黒の柄を持つ陰影の剣にはまるのは、三つの宝玉。
記憶と死を司る黒玉は、夜空の星のように優しく柔らかい光をたたえながら輝いている。翠玉は富と権力の象徴。新緑の若葉のように力強い色を存分に見せる。深い海を思わせる藍玉は勇気の証。触れれば溶けて消えていきそうなのに、勇気の証とはまた不思議だ。
太陽の如く白く燃える陽光の剣にはまる、三つの宝玉。
愛と情熱を表す紅玉は、燃え盛る炎のように明るい色を内に秘めきらめく。黄玉は太陽にすかした飴玉のようだ。その石の中に込められたのは誠実と友情の心。名前に反して薄桃色の蒼玉は、深い思考力と人知の及ばぬ力への感度を高めてくれる。
全て、これら全てを求めて世界を回った。ひとえに、人々を苦しめる邪王を討ち滅ぼすためだ。
改めて、心中で小さな決意をする。絶対に、邪王を打ち倒すのだと。僅かに震えているのは武者震いか、それとも恐怖か。勇者には自分の感情すら、うまく読めないでいた。
「二人とも、もう一度聞く。本当に、共に彼奴の元まで行くのか」
邪王の住む城の廊下内で聞くことではない。日が落ちていて、あたりの確認も満足にできないというのに、今から外に戻るなとと言うことはできやしない。それでも勇者は確認せずにはいられなかった。もし自分についてきただけだというのならば、今、引き返せる内に別れたほうがいいに決まっているのだから。
勇者の言葉に、騎士は大きく笑い射手は心外だと言わんばかりに眉をひそめる。
「私はどこまでも、貴殿と共にすると決めている。今更帰れというほうが無理な話でしょう」
「まさかそこまで馬鹿だなんて思わなかった」
騎士の暖かな言葉に、射手の冷たく不器用な言葉に、勇者の心はふわっと軽くなったような気がした。敵地だというのに、思わず笑みがこぼれ出る。
仲間に恵まれた。勇者は思った。この世界で、奪い奪われるのが当たり前のこの世界で、オレはなんて恵まれているのだろうと。振り向けば無愛想ながらもこちらを気遣い、支援してくれる射手がいる。敵の巨大さに怯み足がすくんだとき背中を押して共に立ってくれる騎士がいる。失い、なくすのが当たり前のこの世界で、二人は変わらずにそこにいてくれる。
「後悔するなよ」
笑って言えば、二人はしっかり頷いて勇者の後ろにピッタリと立った。
目の前には大きくそびえ立つ赤い扉。その扉の向こうからは、わずかではあるが冷気が漏れ出ている。むこうに、いる。この残酷な世界を作り上げた元凶が、せせら笑いながらそこにいる。
騎士は長剣を構え。
射手は弓矢を構え。
そして勇者は、静かに宝剣を抜く。
「さあ、二人とも。泣いても笑っても、これで終いだ。オレらが死ぬか、邪王が死ぬかの二つにひとつ。覚悟はいいな」
「もちろん。とっくのとうにできていますよ。それに、結末は二つなんかじゃありません」
「私たちが勝つ。それ以外、あり得ない」
小さな笑いが、三人を包む。
ひとしきり笑ったあと、すっと空気が引き締まった。それを合図にしたように、勇者は扉に手をかける。
「明るい未来への第一歩を、刻むとするか」
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