うさぎは空を飛べない

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Promise

「指切り、しよ?」


 ヴィンセントがグレタから聞けた話は、至って単純なものばかりだった。
 ひとつ。この森に陰影の劔が収められていた洞窟があるらしい。
 ひとつ。洞窟の中には、劔を守護する魔物がいたらしい。
 ひとつ。魔物は勇者一行に倒され、陰影の劔は無事勇者が回収したらしい。
 ――大雑把な流れはそれだけなのだが、グレタはそれらをお伽話を語り聞かせるかのように話していたため、少々時間がかかった。現に今、空の淵あたりにあったはずの太陽は、二人の真上で輝いている。

「その話、どこまで本当なんだ」

 グレタが話し終えると同時に、ヴィンセントは口を開いた。突然飛んできた質問に、グレタは一瞬首をかしげたのち、困ったように眉を寄せる。

「私は、私が知っていることをそのまま話したけれど……」
「嘘をついてねえだろうな」
「ついてどうするの。そもそもこれ、お伽話だよ? 嘘もなにもないと思うの」

 そりゃそうだ、とヴィンセントは思う。
 ヴィンセント自身、つい最近までは「お伽話などくだらない」と鼻で笑い一蹴する側にいたのだから、グレタの言い分はよく分かる。嘘も本当もなにもない。だってそれは、創られた物語なのだから。
 ただ、己の目で邪赤眼や邪王と名乗る得体のしれない男を見た後なのだ。お伽話だからありえない、もともと嘘ばかりの話だ、などとは、口が裂けても言えなくなった。大体、それを言ったら、自分の腕の回復速度だって“ありえない”ものになる。――そう思うと、ヴィンセントの心中は複雑である。
 一気に自分がお伽話の仲間入りをしてしまったような気分になった。
 黙りこみ、眉間のシワを深めて難しそうな顔をしているヴィンセントを覗き込みながら、グレタはまた首をかしげる。しばし彼を見つめてみたが、全くと言っていいほど反応がない彼に、グレタは一層不思議に思った。
 なにか考え事をしているのは確からしいが、むっつりと不機嫌そうに歪められている表情からは、思考を読み取ることなど適わない。
 さらさらと、水が流れる音が聞こえる。澄んだ水色を覗きこめば、川底の石の形がはっきり分かる。
 鳥が空を飛んでいる姿を、グレタの目が捉える。黒い黒い羽と、わずかにぎこちなく羽を動かす動作から、飛んでいる鳥はフールであるらしい。
 風が吹き抜けた。木葉がざわつく音があたりに満ちた。
 穏やかだ。とても穏やかな空気があふれている。
 グレタはヴィンセントの様子をうかがうのに飽きたのか、素足を晒してから岸に腰掛け、川の中に突っ込んだ。
 流れ行く水が足先を撫でていく感覚が気持ちいい。うっとりとした表情を浮かべたグレタは、軽く足をばたつかせてみる。水滴が散って、陽光を浴びる。きらりと輝いたのち、水面に波紋を広げて、きらめきは沈んでいく。
 ――それが面白かったのかなんなのか、グレタは何度も何度も足を動かして、水滴を跳ね散らかす。輝き落ちるそれは、まるで硝子球のようだ。

「よし、」

 不意にヴィンセントが声を上げたので、何事かとグレタが顔を上げた。

「アンタさ」
「グレタだよ」
「……アンタに頼みが」
「だから、グレタだよ」

 苛立ったような溜息が、ヴィンセントの口から漏れ出る。
 これは、名前を呼べというアピールなのだろうか。ヴィンセントはじっと、半ば睨むようにグレタの方に目を向ける。
 まっすぐ目を合わせてくるグレタの右目には、混じりけなど見つけられない。
 視線が交わる。しばし見つめ合っていたのだが、ヴィンセントはすぐに目を水面へと戻した。やりづらい。居心地も悪い。なんだこれは。

「グレタだよ。名前呼んでくれなきゃ、話聞かないからね」

 ヴィンセントが口を開こうとしたタイミングを狙っていたかのように、彼女が言う。ぐっと、喉の奥で言葉が詰まるのを感じたヴィンセントは、それをごまかすようにゆっくりと息を吐き出した。
 ちらりと、もう一度グレタの方に視線をやる。翡翠の瞳は、期待に満ちていた。
 ――なんだこれは。
 溜息をつきながら、ヴィンセントは思う。ああいう目は、苦手だ。

「ほらほら、呼んでみようよ。グレターって。一言だよ? すぐ終わるから。ね、ね、ね?」

 きらきらと、キラキラと。
 居心地が悪い。かなり悪い。顔をそらして距離を取ろうとすれば、すぐに詰めるようにグレタが傍によってくる。無言の催促をされているのだと、ヴィンセントはすぐに分かった。
 喉に引っかかったなにかを押し出すように呼吸をする。これは、自分が折れるのが早く事が済むだろう。

「……グレタに頼みたいことがあんだけど」
「なあに? ヴィンセントの頼み、聞ける範囲で聞くよ!」

 また向けられる、混じりけのない目に気圧されるように、ヴィンセントはそっと視線を逸らした。
 果てしないほど、居心地が悪い。
 名を呼べば、名を呼ばれるところだとか。まっすぐに目線を合わせてくるところだとか。話せばきちんと、返事が戻ってくるところだとか。
 ――ああ。本当に、居心地が悪い。
 己の心情を隠すように、そっとそっと、意識して呼吸をしてみる。――それでもやはり、胸の中心になにかが詰まったような感覚は抜けなかった。

「陰影の劔があったっつー洞窟の場所は知ってるか」
「……一応」
「案内しろ」
「なんで?」
「いいから」
「……なんで?」

 不思議そうに、不審そうに向けられるグレタの目に、ヴィンセントはまた座りの悪さを感じながら、視線を目の前の川に向ける。真上から降り注ぐ陽光によって、そこは眩しいほどに輝いていた。

「さっきも言ったろ。お伽話に関連する場所に行きてえんだよ」

 空を飛んでいたフールが戻ってきた。グレタの隣に降り立つと広げていた羽をたたみ、彼女の足元に擦り寄って目を閉じた。
 グレタは少々思案するように視線を伏せ、側によってきたフールのことを撫でながら、「いいよ」とぽつり、返事をした。

「だけど、すぐにじゃない。準備しなくちゃいけないから」
「あ? 案内に準備もなにもねえだろ」
「ううん、あるの。準備っていうか、確認っていうか……」

 嫌な予感がする。ヴィンセントはとっさに思った。この話の流れは、あまり自分にいいように進まない気がすると思ったのだ。

「私ね、勇者様が陰影の劔を手に入れたっていう洞窟がどこにあるのか、具体的には知らないの。だから、ヴィンセントに案内ができるように見つけておく。見つけたら、絶対お知らせする。――それじゃ、だめかなぁ?」

 つまりしばらく、この森から動けなくなる……ということか。
 今まで溜め込んでいたものが一気に溢れくるような深い溜息が、ヴィンセントの口から出てきた。
 ヒントがここしかないのだから、別の場所に赴くことも適わない。連絡手段もないから彼女と離れるわけにはいかない。足止めが、確定したのだ。

「わーったよ、仕方ねえ」
「良かったぁ! ありがとう、ちゃんと見つけるからね!」

 ほわりと柔らかそうな笑みを浮かべて、それはそれは嬉しそうにグレタは言う。それから小指を突き立てた手をヴィンセントに差し出した。

「指切り、しよ?」
「なんで」
「約束しましたっていう感じがしていいじゃない」
「嫌だね面倒くさい」
「そう言わないで」

 グレタの言葉を後押しするように、フールもアーとひと鳴きする。
 二対の目にじーっと見つめられたヴィンセントはたじろぎながら、視線を逸らした。
 もう一度、催促するようにグレタがヴィンセントの名を呼ぶ。呼ばれたほうはと言うと、諦めたように乱暴に己の頭をかき回したあと、乱雑に、しかししっかりと、彼女の指に自分の小指を絡ませた。

「うん、これで約束したから!」

 厄介な相手に案内を頼んでしまったのかもしれないと、ヴィンセントはひとり、小さく嘆息をした。

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