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ケーキが焼きあがった。
無情に電子音が台所から聞こえてくる。ホラー映画も中盤に入り、ストーリーも頭に入っていなかったので、ソファから立ち上がろうとする。右手の上に重なる左手が、離れなかった。
「堀さん? ケーキ焼けたよ」
「んー…」
肩を軽くたたくと、小さい唸り声をあげて首をコックリコックリした。寝ちゃったのかな。離したくはなかった右手を離し、堀さんの上半身を受け止めた。
ゆっくりと堀さんをソファに寝かせ、台所へ小走りする。オーブンを開けると、甘い香りが蒸気に乗って浮遊する。
緑色のミトンを手にはめてオーブンから焼きあがった土台を引き出す。すぐにアイスクーラーの上でひっくり返し、横から様子を見た。生焼けでもないし、ちょうどいい焼き加減だ。
居間のほうで足音が聞こえた。堀さん、起きたのかな。
「焼けたぁ?」
「うん、いいかんじ。ちょっと食べてみる?」
「うん」
熱い生地をナイフで軽く切り取り、ふーふーしてから堀さんの手に乗せた。堀さんはにおいをかいでから、口に放り込んだ。
○
「おいしい…」
「ちゃんとできて良かったね」
「うん…」
口の中に広がる甘さは、体の芯を温めるようで
心の底にある宝石を引っ張り上げるように、
ゆっくりと、ゆっくりと、あの時の記憶が
引き上げられていった
(この味、懐かしいね)
(今、思い出したわ。全部、ね。)
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